青森地方裁判所 昭和63年(わ)161号 判決 1995年11月30日
主文
被告人を懲役一二年に処する。
未決勾留日数中、二三〇〇日を右刑に算入する。
本件各公訴事実中、平成元年三月七日付起訴状記載の公訴事実第一(同月一三日付訴因変更請求書により訴因変更されたもの)の各事実について、被告人はいずれも無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 A1、A2及びA3と共謀のうえ、A2が所有し、同人の妻A4が現に住居に使用する青森市<以下省略>所在の建物(木造亜鉛メッキ銅板葺二階建事務所兼居宅、床面積約一六七・八平方メートル。以下、「A2宅」という。)に放火し火災共済金を騙取しようと企て、A2宅について、A2名義で、全国労働者共済生活協同組合連合会(以下、「全労済」という。)との間で火災共済契約(共済金額二〇〇〇万円)を締結したうえ、
一 昭和六一年五月二五日午前三時ころ、被告人又はA1あるいはA3のいずれかにおいて、A2宅一階廊下付近に灯油様の物を撒き、これに点火して火を放ち、天井等に燃え移らせ、よって、現に人の住居に使用する右建物を全焼させてこれを焼燬し、
二 同年一〇月七日、A1において、A2を債務者とする金額九二二万九五八八円の債務弁済契約にかかる公正証書原本を債務名義とし、また、同月一四日、被告人において、A2を債務者とする金額一一七〇万七〇七三円の債務弁済契約にかかる公正証書原本を債務名義とし、それぞれ前記火災共済契約に基づくA2の全労済に対する火災共済金支払請求権を差し押さえたうえ、同年一二月二日、A2において、青森市<以下省略>所在の全労済青森県本部において、全労済に対し、A2宅が原因不明の出火により焼失したように装って火災共済金の支払を請求し、同共済金の支払決定権者である全労済青森県本部専務理事A5をしてその旨誤信させ、よって、全労済をして、同月一八日、同市<以下省略>所在の青森地方法務局に右火災共済金の支払として一六〇八万円を供託せしめ、同法務局において、昭和六二年五月二八日、A1が三六二万九一九九円の、同月二九日、被告人が四六〇万三〇七五円の各配当を受けるとともに、同月二八日、A2に対する貸金債権に基づき右共済金支払請求権に対して仮差押えをしていた株式会社みちのく銀行に七八四万七七二六円の配当を受けさせ、もって全労済から火災共済金合計一六〇八万円を騙取し、
第二 A1と共謀のうえ、A6及びその家族が現に住居に使用する青森県弘前市<以下省略>所在の建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅、床面積約一〇三・五九平方メートル。以下、「A6宅」という。)を火災保険金騙取の目的で放火しようと企て、昭和六二年二月ころ、A6が所有する右建物につき、これを被告人においてA7名義で買い取ったうえ、A7をして、全労済との間で被保険者をA7とする火災共済契約(共済金額八〇〇万円)を締結させたが、その後、同契約が失効したことに気づかないまま、同年五月一〇日午前一時ころ、被告人において、A6宅一階八畳居間付近に灯油を撒き、これに点火して火を放ち、床及び天井等に燃え移らせ、よって、現に人の住居に使用する右建物をほぼ全焼させてこれを焼燬し、
第三 A1や被告人が関与した保険金目的による放火等の件をA3(当時六三歳)に吹聴されたことから、昭和六三年七月上旬ころ、これを放置すれば捜査機関に発覚しかねないと危惧しその口封じを必要としたA1からA3の殺害の企図を持ちかけられ、遅くとも同月二四日ころまでにこれに賛同し、A1と共謀のうえ、A3を殺害したうえ犯跡隠蔽のためその死体を遺棄しようと企て、
一 同月二四日夕刻から被告人、A1及びA3の三名で青森市<以下省略>所在の青森県市町村職員共済組合共済会館地下一階の飲食店「京さい」で飲食した後、同日午後八時ころから翌二五日未明までの間に、青森市内又はその周辺に停車中の自動車内において、A1又は被告人あるいはその両名において、扼殺、絞殺又はこれに類する方法でA3を殺害し、
二 右のA3殺害の犯行後、同月二五日未明までの間に、A1又は被告人あるいはその両名において、青森市<以下省略>所在のi株式会社管理にかかる産業廃棄物最終処分場に掘られた処理穴にA3の死体を投棄したうえ、これにタイヤショベルを操作して貝殻等を被せて隠蔽し、もってA3の死体を遺棄した
ものである。
(証拠の標目)<省略>
(無罪とした公訴事実の要旨)
〔平成元年三月七日付起訴状記載の公訴事実第一(同月一三日付訴因変更請求書により訴因変更されたもの)の各事実〕
被告人は、A1及びA3と共謀のうえ、A1が所有名義を有し、A8及びその家族が現に住居に使用する青森市<以下省略>所在の建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅、床面積約八二・二六平方メートル。以下、「A8宅」という。)及び同建物内の家財について、A1名義で、東京海上火災保険株式会社(以下、「東京海上」という。)との間で火災保険契約(保険金額は、建物につき八〇〇万円、家財につき七〇〇万円)を締結したうえ、右建物に放火して火災保険金を騙取しようと企て、
一 昭和六一年五月一〇日午後八時四五分ころ、被告人において、A8宅一〇畳居間付近に灯油様の物を撒き、これに点火して火を放ち、天井等に燃え移らせ、よって、現に人の住居に使用する右建物を焼燬し、
二 同年七月二日、A1において、東京海上に対し、真実はA8宅の火災は被告人らが放火したものであるのに、あたかも原因不明の出火により焼失したもののように装って火災保険金を請求し、同保険金の支払決定権者である東京海上青森支店長A9をしてその旨誤信させ、よって、同人をして、同月一五日、同市<以下省略>所在の株式会社青森銀行本店に開設されたA1名義の普通預金口座に六六万一三七六円を振り込ませ、同月一六日、東京海上青森支店において、A8に対する貸金債権の担保として右建物に抵当権を有していた東京海上に対する債務の弁済として、簡易の授受により東京海上に九〇七万四八六七円の支払を受けさせ、同月一八日、A8に対する貸金債権の担保として右建物に抵当権を有していた住宅金融公庫に対する債務の弁済として、右青森銀行本店に開設された住宅金融公庫名義の預託金仮受金口座に二九三万一八五九円を振り込ませ、もって東京海上から火災保険金合計一二六六万八一〇二円を騙取した
ものである。
(補足説明及び一部無罪の理由)
本件各公訴事実は互いに関連性を有するものであり、これらを時系列に沿って整理・検討するのが便宜であるので、以下、事件の発生順序に従って説示することとする。
なお、説示の便宜上、A8宅の現住建造物等放火・詐欺被告事件を「A8宅放火・詐欺事件」、A2宅の現住建造物等放火・詐欺被告事件を「A2宅放火・詐欺事件」、A6宅の現住建造物等放火被告事件を「A6宅放火事件」、殺人・死体遺棄被告事件を「A3殺害事件」という。
また、証拠の引用については、検察官に対する供述調書を「検面」、司法警察員に対する供述調書を「員面」と略記するほか、被告人に対する公判(公判手続の更新の前後を問わない。)並びに公判分離後の相被告人A1及び同A2に対する各公判における被告人、右両相被告人及び証人らの各供述をいずれも単に「第何回公判」と略記し、書証として取り調べられているものについては、証拠等関係カード記載の証拠番号を掲記する。
第一 A8宅放火・詐欺事件について
一 前提事実
以下の各事実は、関係各証拠から容易に認定することができる。
1 被告人、A1及びA3の関係等
(一) 被告人は、昭和五九年ころ、暴力団a一家二代目b組に所属し、主に債権の取立て等をしていたが、そのころ、手形割引の仲介や債権の取立て等を生業とするA3(以下、「A3」という。)と知り合い、以後、A3が依頼を受けた債権の取立てや借金の整理等に関し、必要書類を作成したり相手方と交渉するなどして度々A3と行動をともにするようになり、A3の住む青森市<以下省略>所在のcアパート五〇一号室(以下、「cアパート」という。)にも出入りするようになった。
なお、被告人は、昭和六一年六月一二日、内妻A10(以下、「A10」という。)とともにA3の養子となっている。
(二) A1(公判分離前の相被告人。以下、「A1」という。)は、昭和五五年ころ、有限会社d(以下、「d社」という。)を設立し、青森市<以下省略>に事務所を構え、中古自動車の販売業等を営んでいたが、昭和五九年ころ、取引上のトラブルにA3が介入してきたことがきっかけでA3と知り合い、以後、A3に対し、トラブルの相談をしたり債権の取立てや知人の借金の整理等を依頼するようになった。
A1は、そのころ、被告人とも知り合ったが、当初の付き合いの程度は、被告人がd社に自動車の修理等を依頼するといったものに限られていた。
2 A8宅放火・詐欺の計画
(一) A1とA8の関係等
A1は、d社を設立したことから、当時信販会社の融資課長をしていたA8(以下、「A8」という。)と親しく付き合うようになり、互いに仕事上の便宜を図るなどしていたが、そのうちA8と組んで自動車の架空売買に基づくローン契約(以下、「空ローン」という。)を結び、右契約に基づいて引き出した現金を二人で使うなどするようにもなった。
なお、右空ローンの返済はA1が行っており、A1はA8に対し多額の立替金返還請求権を有していた。
A8は、金儲けのため知人に不正融資をしていたことが会社に発覚し、昭和六〇年七月ころ、右信販会社を退職したが、そのころ、ブロイラーの販売会社の設立を計画し、A1の知人から五〇〇万円を借金したものの、右事業にも失敗し、結局、右五〇〇万円はA1がA8に代って返済した。
一方、A1の経営するd社は、空ローンが発覚して信販会社と取引きできなくなったことなどから、昭和五九年ころから業績が悪化し始め、昭和六〇年にはA1個人の資産を投入したものの業績は好転せず、ますます資金繰りが困難となり、このため、A1は、同年秋ころには、会社再建のためA8らに対する債権を早期に回収する必要に迫られていた。
(二) A8宅放火・詐欺計画の発端
このため、A1は、昭和六〇年一〇月ころ、自己のA8に対する債権の回収方法をA3に相談したところ、A3から、A8の自宅に放火して火災保険金を騙取するのが手っ取り早いと勧められたため、結局それしか方法がないと考えるようになり、保険金目的での放火を決意した。
そこで、A1とA3は、まずA8を仲間に引き入れようと考え、同年一二月ころ、A8に対し、放火計画を打ち明けて仲間に入るよう説得したが、断わられてしまった。
(三) 四五〇〇万円の借用書問題
ところで、このころ、A8を債務者とし、A1とA8の義兄A11(以下、「A11」という。)らを連帯保証人とする額面四五〇〇万円の借用書が暴力団組員のA12の手に渡り、昭和六一年一月以降、A12から取立てを任された暴力団組員のA13(以下、「A13」という。)らが、A8や連帯保証人のA1とA11らにその返済を迫るようになった。
A13らは、A8が逃げ回っていてなかなか会えないため、A1とA11のところに取立てに行くことにし、同年三月ころには、何度かd社の事務所に押しかけたほか、A11に対しても電話をかけたり勤務先に押しかけるなどした(なお、A1は、同年三月四日から二五日までの間、賍物故買の容疑で弘前警察署に身柄を拘束されていた。)。
A1は、同年三月三〇日、A8を連れてA11を訪ね、四五〇〇万円の借用書の件でA13らと話を付けてくれそうな人がいるから会わないかと誘い、青森市<以下省略>所在の青森厚生年金会館でA3に引き合わせた。その際、A3がA11に、一〇〇〇万円くらい払えばA13らと話を付けられるかもしれないと言ったところ、A11は、A3に対し、A8の兄弟が保証人になるのであれば銀行から一〇〇〇万円を借りることも考えると答えた。
このころ、被告人は、暴力団組員同士のほうが話が早いと考えたA3からA13らとの交渉を依頼され、A1やA8から事情を聞いたところ、A11が一〇〇〇万円程度支払えそうであることを知り、A13に会って、A8やA11に金を払わせることができると思うなどと述べ、A13から一時取立てを控えるとの約束を取りつけた。
ところが、A11は、弁護士と相談のうえ、同年四月七日、A12らを被告として債務不存在確認の訴訟を提起し、右の借用書の件で金を払う意思のないことを明示した。
このため、被告人は、A11の提訴を知ったA13らから責任をとるよう迫られ、次第に、この件はA8宅の土地建物をA13らに渡して話を付けるしかないと考えるようになった。
そこで、被告人は、まずA8を掴まえようと考え、配下のA14らに指示し、A8宅に張り込ませたり電話の盗聴をさせ、さらに、当時A8宅にいたA8の娘A15を脅させて、債権の取立てが厳しくなっていることをA8に分からせようともしたが、結局、A8を掴まえることができなかった。
(四) A8宅放火・詐欺計画の進行
(1) 移転登記
以上の経緯の中で、A1は、A3と相談のうえ、被告人に秘してA8宅の土地建物の登記名義をA1に移転することとし、A3と二人で、A8に対し、このまま手をこまねいていれば右土地建物をA13らに取られてしまうなどと言い、その登記名義をA1に移転するよう迫ってこれを承諾させ、昭和六一年三月三一日、右土地建物についてA8からA1に所有権を移転する旨の登記申請を行い、同年四月五日に受理されてその旨の登記がなされた。
(2) 火災保険契約
一方、A1は、A8宅建物に火災保険をかけることとし、同年四月三日、全労済との間で、A8名義で火災共済契約(共済金額は、建物につき一二〇〇〇万円・家財につき六〇〇万円。)を締結し(なお、後記第二・一・3・(一)に記載のとおり、このとき同時にA2宅についても同様の火災共済に加入している。)、さらに、A8宅の土地建物について登記簿上の所有名義が変更された後の同月一一日、被告人に秘して、東京海上との間で(代理店であるA16を介して)、A1名義で火災保険契約(保険金額は、建物につき八〇〇万円・家財につき七〇〇万円。)を締結した(なお、説示の便宜上、全労済との火災共済契約及びその共済金についても、「保険契約」及び「保険金」などともいう。)。
(3) 放火準備金
A1は、A3に対し、同年五月初めころ、放火のための準備金として五〇万円を渡した。
(4) 鍵の入手
A1とA3は、相談のうえ、A8から同人宅玄関の鍵を盗んで合鍵を作ることとし、同年五月六日から翌七日にかけて、A1がA8を誘って浅虫温泉の「すみれ荘」に宿泊し、そこでA8の着衣から玄関の鍵を盗み出したうえA3に手渡し、A3がこれを利用して合鍵を作った。
3 A8宅放火
昭和六一年五月一〇日午後八時四五分ころ、何者かが青森市<以下省略>所在のA8宅建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅、床面積約八二・二六平方メートル。)に合鍵を使用して忍び込み、一〇畳居間付近に持参したポリタンク(灰色で形状は立方体に近く、表面に「日産化学」の文字があるもの。)内の灯油様の物を撒き、これに点火して放火し、右建物を焼燬した(なお、当時、A8ら家人は不在であり、また、早期の発見と消防活動により半焼にとどまった。)。
4 火災保険金の請求等
(一) A1は、同月一三日、A16を通じて東京海上にA8宅の火災を報告し、同年六月三日ころから保険金の支払額について自ら東京海上と交渉するなどしたうえ、同年七月二日、東京海上に対し、正式に火災保険金の支払を請求した。
その結果、東京海上は、同月一五日、A1に対し六六万一三七六円を支払い、同月一六日、九〇七万四八六七円をA8の東京海上に対する債務と相殺勘定とし(東京海上は、A8の東京海上に対する債務を代位弁済したいとのA1の申出を受け、東京海上のA8に対する債権を自働債権とし、A1の東京海上に対する保険金支払請求権を受働債権として、対当額で相殺した。)、同月一八日、A8の債権者である住宅金融公庫に対し二九三万一八五九円を支払い、右火災の火災保険金として、実質的に総額一二六六万八一〇二円を支払った。
(二) A1は、同年六月ころ、自己名義となっていたA8宅の土地建物を知人のA17に売却し、同年八月二日ころまでに、何人から売買代金として総額六〇〇万円ないし八〇〇万円を受領し、これをA1のA8に対する債権の弁済に充当した。
(三) 一方、被告人は、A8宅の火災後に初めてA8宅の土地建物の登記名義がA1に移転していたことなどを知り、そのころ、A3あるいはA1にこれを問いただしたうえ、前記2・(三)のとおり、A13らから責任を追及されていたことから、四五〇〇万円の借用書の件でA13らと交渉した報酬として、A3あるいはA1から一〇〇万円ないし一五〇万円を受け取り、そのころ、A13に対し、数回に分けて総額八五万円を支払った。
二 争点
被告人は、A8宅放火・詐欺事件について、捜査・公判を通じ、一貫して自己の関与を否定しているところ、関係各証拠を総覧すると、昭和六一年五月一〇日午後八時四五分ころ、A8宅の一〇畳居間付近から出火して半焼したこと、出火状況等からして右火災は何者かの手による放火であること、A1において、右火災の約一か月前にA8宅建物に全労済と東京海上の火災保険をかけ、火災後に東京海上の火災保険金の請求手続を行いこれを取得していること、そして、少なくともA1とA3がA8宅の火災保険金目的による放火・詐欺を共謀したことが明らかであるが、他方・被告人には、A8宅についての火災保険契約、登記名義のA1への移転、A17への売却、火災保険金の請求とその入手などの諸手続にはいずれも外形上関与した形跡がなく、A8宅放火・詐欺事件と被告人とを直接結び付ける証拠は、「この事件はA1、A3及び被告人の三人の共謀の下に敢行されたものであり、また、放火の実行行為を行ったのは被告人であると思う。」とするA1の供述しかない。
そこで、以下においては、まず、A1供述の信用性について検討を加え、次いで、検察官が被告人の関与を根拠づける有力な物的証拠と主張する火災現場に遺留されたポリタンクなど、その余の証拠について検討することとする。
三 A1供述の信用性
1 A1の捜査・公判における供述の要旨(平成元年二月三日付員面(全三四丁のもの)〔甲四九二〕、同年三月六日付検面〔乙三三〕、第一一回・第一三回公判等)
<1> 自分とA3と被告人の三人が相談してA8宅に放火した。自分は、A8に対する債権を火災保険金で回収するためにやった。A3と被告人も金目当てにやったものと思う。
<2> 昭和六〇年一二月ころ、厚生年金会館で、自分とA8とA3の三人でA8の資金繰りの相談をした。その際、A3がA8に対し、自宅に放火して保険金を手に入れ借金を整理してはどうかと持ちかけ、土地も残るし東京から人を呼んで放火させるから捕まる心配もないなどと説得したがA8に断られた。
<3> このころ、A8は、A18からの五〇〇万の借金につき、自分とA11を保証人とする借用書を差し入れたところ、これが暴力団のA12の手に渡って四五〇〇万円の借用書に書き換えられ、暴力団のA19とかA13がA8や自分に対して取立てに来るようになった。
そこで、昭和六一年二月ころ、厚生年金会館に自分とA8、A3、A11の四人が集まり、この問題で相談した。
<4> また、このころ、A11から借用書問題を解決するために一〇〇〇万円程度払ってもいいという話があった直後に、被告人がA13らと話を付けてやるなどと言ってこの問題に介入してきた。
<5> さらに、このころ、自分とA8とA3の三人が集まり、A3が、このままではヤクザにA8の家もA1の家も取られてしまうから、A8宅をA1名義とし、A1宅をA3名義としようと持ちかけ、A8と自分はこれを承諾した。その後移転登記の手続をとろうとしたが、なかなかA8が掴まらず、自分は賍物故売容疑で逮捕・勾留された。
<6> 三月下旬ころ、cアパートに行くと、A3夫婦、被告人夫婦とA20(A3の運転手的存在。以下、「A20」という。)がいた。A3がA8宅とA2宅の放火の件を持ち出したところ、被告人があわてて自分とA3を外に連れ出し、三人で青森港の三〇〇〇屯岸壁に行った。そこで被告人は「A8のところは家が密集しているが、A2のところは道路端で見つかりやすいから雨のときにやったほうがいい。」とか、「放火は現行犯でなければ逮捕されないし、こちらの素性を教えずに火をつける奴を雇うから捕まる心配はない。」と言い、さらに、A8宅とA2宅について火災保険をかけるようにも言われた。この段階で、自分は保険をかける役、A3と被告人は放火の実行犯を手配する役と決まった。
(なお、前掲員面では、A1が釈放された後、右の話の前のこととして、「釈放後、cアパートに行ったところ、被告人もいて、その場でA3がA8宅に放火して保険金を取ることを提案し、自分に火災保険をかけるよう指示したが、被告人は黙って頷いていた。」と供述していた。)
<7> 四月三日、A8名義でA8宅に全労済の火災保険をかけ、同時にA2宅についても同様の保険に加入し、そのころ、A8宅とA2宅に保険をかけたことをA3に伝えた。このことは被告人も知っていた。
<8> そのころ、A8、A3と一緒に法務局に行き、A8宅の登記名義を自分に移転する手続をとった。そのあと、A3から、A8名義の保険だと保険金をA8の債権者に持っていかれる虞れがあるから、A8宅の名義をA1に変えたことでもあるし、A1名義でも保険に入れと指示されたため、東京海上の火災保険に加入した。
被告人は四五〇〇万円の借用書の問題に介入したものの、このころにはA13らに責任を追及されるようになっていたことから、被告人に知らせると、被告人が自分の責任を逃れるため勝手にA8宅の土地建物をA13らに渡してしまう虞れがあったので、A8宅の登記名義を自分に移したことは被告人に教えなかった。したがって、名義変更に関連した東京海上の火災保険のことも被告人は知らなかったかもしれない。
<9> 四月末か五月初めころ、厚生年金会館でA3と会い、A3から「東京から来る火をつける奴に五〇万円払わなければならないから、お前が都合しろ。」と言われ、そのころ、厚生年金会館でA3に五〇万円を渡した。
<10> そのころ、A3がA8宅の鍵が必要だと言い出し、自分とA3と被告人の三人で相談のうえ、A8を一晩誘って酒を飲ませ、その際に鍵を盗ることを決めた。
その後、被告人がd社の事務所に来たとき、被告人からA8宅の鍵を催促された。
<11> また、そのころ、青森市文化会館で自分とA3と被告人の三人が会った際、被告人からA8宅の間取りを聞かれ、ナプキンに書いて説明した。
<12> 五月上旬ころ、浅虫温泉にA8を連れて行き、酒を飲ませ風呂に入っている隙に家の鍵を盗り、翌朝A3にこれを渡して複製してもらい、元の鍵はA8の背広に戻しておいた。
放火を実行する日は決めてなかったが、そろそろと思っていた。
<13> 五月一〇日夕方、ポケットベルでA8を呼んだところ、A8から「A21と一杯飲んでいる。」との電話があり、これをA3に伝えたが、「お前、戻るときにA8が本当に家にいないかどうか見てこい。」と言われ、午後七時三〇分ころ、A8宅に赴いて車庫のシャッターを開けたりチャイムを押すなどして不在を確認し、その足でcアパートに行った。
A3にA8が不在であると報告し、夕食を御馳走になったが、二、三〇分したころに消防車のサイレンが聞こえた。A3が「お、A8のところだな。」と言うので、確認のためA8方に電話すると通話中の音がし、火事で電話線が切れたせいだとA3が言った。A3から、疑われるから家に戻ってアリバイを作っておけと言われた。
<14> 放火の二日後、東京海上の代理店に電話をかけ保険金請求手続を依頼したところ(A2宅の放火もあり、全労災の保険のことは一時忘れていた。)、代理店から保険金の大部分は銀行に持っていかれるとの説明を受けたが、そのとおり自分には五、六〇万円しか入らなかった。家財の保険金についてはA8に請求権があるとのことで、一〇〇万円ほどはA8に入っていると思う。この保険金の請求は、A3や被告人の手を借りずに自分一人で行った。
A8宅は一部しか焼けず、しかもA8宅の土地建物の担保が消滅したので、同年七月中旬ころ、右土地建物を一括して知人のA17に六〇〇万円で売却した。
<15> 七月ころ、被告人から半強制的に一〇〇万円を取られた。被告人は、四五〇〇万円の件でA19やA13にA8宅を渡すという話を進めていたが、「A1が勝手に名義を変更したため立場がなくなりA19達に追われている。その話を付けるのに一〇〇万円要る。」と言って金を要求した。その際、被告人はA8の保険金が入っただろうと言っており、放火の礼金の意味にもとれた。
また、A3からも、客の接待に必要だとか部屋代が要るとの理由で、A8宅の放火後、二、三〇万円くらいせびられた。
<16> A8宅に放火したのは被告人だと思う。なぜなら、自分がA3にA8の不在を知らせて間もなく火事になっており、その間に東京から放火の実行犯を呼ぶことはできないこと、A3はcアパートで一緒にいたから火をつけることはできないこと、不在を知らせたとき被告人はいなかったこと、それまで被告人はA8宅の下見をしたり、自分にA8宅の間取り図を書かせたりしていることなどを考え併せると、被告人以外に考えられないからである。
2 検討
(一) A1供述の一般的な問題点
(1) 右1のA1の供述中、A8宅放火・詐欺事件についての被告人の関与を示す供述は、<1>・<6>・<7>・<10>・<11>・<16>であり、<1>は単に被告人も共犯関係にある旨を述べ、<6>は謀議の際に被告人が話した内容を述べ、<7>は単に被告人も全労済の保険に加入したことを知っていたと述べ、<10>は鍵の入手に関する謀議の場に被告人がいたと述べ、<11>はA8宅の間取りを被告人に説明したと述べ、<16>は実行犯は被告人であろうという推測を述べているが、これらの供述を分類すると、被告人、A1とその後死亡したA3の三名だけ、あるいは被告人とA1の二名だけしかいない場面において、被告人が話をしたとか聞いていたというもの、ないしはA1の推測や認識を述べたものに大別される。
そして、これらの供述に共通している特徴は、いずれも被告人の関与する場面が書面や第三者の記憶などに痕跡を残さない類のものばかりという点であり、現に、本件においては、これらの点に関するA1の供述を裏付ける証拠はほとんどないといってよい(なお、この裏付証拠については後記五で検討する。)。
これは、A1の供述のうち、被告人が登場しない事実関係(<2>A8の説得、<3>四五〇〇万円の借用書問題、<5>・<8>A8宅の登記名義移転、<7>・<8>保険契約、<9>五〇万円の放火準備金、<12>鍵の入手、<13>放火当日のA8の不在確認、<14>保険金請求)及び被告人が登場するもののそこから被告人も共犯であることには直接結びつかない事実関係(<4>四五〇〇万円の借用書問題への被告人の介入、<15>被告人への一〇〇万円の交付)などといった重要な事実が、いずれも関係者の供述や関係書類などによって裏付けられているのと著しく対照的である。
A1の供述が真実であるとすれば、このような事態はたまたま生じたものということになろうが、右のような著しい対照が偶然に生じたと考えるのは困難である(なお、被告人が右のような重要な事実について意図的に痕跡を残さぬよう周到に行動したのではないかとの疑念もあるが、本件と時期をほぼ同じくして敢行されたA2宅放火・詐欺事件では、被告人が保険金取得のための公正証書上の債権者として登場していること(後記第二・一・5・(六))などからしても、その可能性は乏しいものというべきである。)。
(2) 次に、A1供述の特徴として捉えられるのは、複数の者と共謀して保険金騙取目的の放火という重大な犯罪を敢行したのであれば、その過程において当然に謀議の内容とされるべき事柄や通常認識していて当然と思われる事実のうち、重要部分の一部につき供述が欠落したり極めて曖昧にした述べられていないものがあるという点である。
即ち、このような事案では、少なくとも加入する保険の保険金額や取得される保険金の分配方法などについて事前に相談するのが当然と考えられるにもかかわらず、A1供述にはこれらの点に関する明確な供述がなく、しかもその供述によれば、保険契約の内容はA1に一任されていたかのようになっているうえ、共犯者にとって最大の関心事と考えられる保険金の分配方法については、事前にも事後にも一切謀議がなかったかのようにさえなっている。
また、A1供述には、被告人が放火の共犯に加わった動機や経過についての説明がほとんどないうえ、いつどのようにして放火を実行するかについての具体的な謀議に触れた部分もなく、放火の実行犯が誰かという点についてさえ、被告人ではないかと推測を述べるだけで明確な供述がないのであって、結局、A1供述によれば、被告人やA3は、A8宅放火によってどれだけの保険金を入手できるかを考えもせず、かつ、取得した保険金のうちどれだけが自分のものになるのかも分からないまま、保険金目的の放火・詐欺という重大な犯罪を敢行したということになり、しかも、A1は、被告人が犯行に加わった動機や経緯をよく知らず、放火の具体的な実行方法や実行者についても知らされないまま、犯行に加担していたということになる。
しかし、保険金目的の放火において、どれだけの利益が得られるかについて具体的な予測もなく犯行に及ぶというのは、共犯者の態度としては奇異であり、また、通常は一心同体とみられる共犯者間において、具体的な放火の実行方法についての打合せをせず、その実行者が誰であるかも明らかにしないというのも極めて特異なことと考えられる。
(3) 以上に検討したところによると、A1の供述は、被告人の関与を窺わせる部分について、これを裏付けるものがなく、しかもその内容自体も極めて不自然なものというほかはなく、その信用性は低いものと評価せざるを得ない。
(二) A8宅の登記名義の移転及び東京海上への保険加入について、これをA1が被告人に秘していた点について
(1) A1が、A8宅の登記名義を自己に移転し、東京海上と火災保険契約を締結したことを被告人に秘していたことは前示のとおりであり(前提事実2・(四)・(1)及び(2))、A1自身もこれを概ね認めている(前記1・<8>)が、これらの事実は、A1らがA8宅放火・詐欺事件を敢行した究極の目的である保険金の取得に直接関係する事柄であり、共犯者でありながらこれらの事実を秘しておくというのは特別な事情がない限り不合理である。
この点について、A1は、「A8宅の名義を自分に移したのは、四五〇〇万円の借用書問題が起きた昭和六一年二月ころ、A3から『このままではヤクザにA8の家もA1の家も取られてしまうから、この際A8宅をA1名義としA1宅をA3名義としよう。』と持ちかけられたからであり、これを被告人に隠しておいたのは、登記を移転した四月初め当時、被告人は四五〇〇万円の借用書の問題に介入したもののA13らに責任を追及されるようになってしまったため、被告人に知らせると、被告人が自分の責任を逃れるために勝手にA8宅の土地建物をA13らに渡してしまう虞れがあったからである。」旨供述する(前記1・<5>及び<8>)。
(2) しかし、前示のとおり(前提事実2・(三))、被告人が四五〇〇万円の借用書問題についてA13らに責任を追及されるようになったのは、A11が民事訴訟を提起した昭和六一年四月七日以降であり、A1らがA8宅の登記名義をA1に移転するための登記申請をした同年三月三一日の時点では被告人がA13らに責任を追及されていなかったことは明らかであって、右のA1供述は客観的事実と明らかに矛盾する。
また、右のA1供述によれば、A8宅のA1への登記名義の移転は、保険金騙取を目的としたA8宅放火・詐欺事件とは関係がないかのごとくである。そして、前提事実2・(三)によると、昭和六一年二月当時、A1とA8は四五〇〇万円の借用書問題で暴力団組員のA13らから厳しくその返済を迫られており、最終的には主債務者であるA8の自宅の土地建物をA13らに無理矢理取られかねない状況にあったのであるが、そうすると、これに対抗するため、A1らがA8宅の登記名義を他に移転しようと考えたこと自体は不自然ではないともみられなくはない。しかし、A1自身も借用書の連帯保証人となっていて現に厳しい取立てを受けていたのであるから、A8宅をA1名義に変更しても結局はA13らに取られてしまう可能性が強く、あえてこのようなことをするのは実益がなかったはずであって、債権の取立て等を生業とするA3や営業上多数のローン契約に関与し連帯保証人の責任についても知識を持っていたと思われるA1がその程度のことを認識していなかったとも考え難い。
そうすると、右のA1供述は内容的にも不合理というほかはない。
(3) そこで、登記名義の移転を企図したA1らの真意を考えるに、A1とA3は、A1のA8に対する債権回収のためA8宅放火・詐欺を決意し、昭和六〇年一二月ころにはA8を仲間に誘い込もうとしたものの、これを断られているが(前提事実2・(二))、A1らがA8を仲間に引き入れようとした動機は、A1と親しい間柄にあるA8を被災者として放火の実行を容易にするためばかりでなく、A8宅の火災により保険金を取得するには、共犯者のうちの誰かがA8宅にかけた火災保険の保険金を請求できる権利を有している必要があるところ、A8宅の所有者はA8であり、A8宅に火災保険をかけたうえ火災により保険金を請求できるのはA8しかいない以上、そのA8を仲間に引き入れる必要があったからと考えるのが合理的であり、そうだとすれば、A8から仲間に入ることを断られたA1らがA8宅の名義をA1に移転したのは、A8宅放火により保険金を取得する手段として、A1名義で火災保険をかけるためであったものと推認することができる(なお、A8宅の火災保険金支払後、A1がA8の土地を建物を含めて売却し六〇〇万円以上の代金を取得していること(前提事実4・(二))に照らせば、A1の狙いはA8の不動産自体の価値にもあったとも考えられるが、だからといって名義移転に火災保険金騙取の目的がなかったということはできない。)。
(4) 以上に検討したところによると、A8宅の登記名義のA1への移転は、保険金騙取目的による放火の犯行の重要な準備行為としての意味を持ち、これをA1自身認識していたことは明らかである。
そうすると、A1が被告人に対し、A8宅の登記名義をA1に移転した事実及びA1名義で東京海上との保険契約を締結した事実を秘していたということは、被告人がA8宅放火・詐欺事件の共犯者ではなかったということを強く窺わせるものというべきである。なぜなら、被告人がこの事件に共犯者として関与していたのであれば、その計画の中核ともいうべき右のような段取りを共犯者のA1らから知らされないことはあり得ないと考えられるからである。
(三) A1がA8宅放火・詐欺事件による利得をほぼ独占したことについて
前示のとおり(前提事実4)、A1はA8宅の火災保険金の請求手続やA8宅の土地建物の売却に被告人を全く関与させず、しかも、これらによる利得をほぼ独り占めにしたのであり、被告人は純粋な意味での分け前を全く取得していない(なお、前提事実4・(三)のとおり、被告人が本件に関連して受領した一〇〇万円ないし一五〇万円の趣旨は、四五〇〇万円の借用書の件の解決金と解される。)。
被告人がA8宅放火・詐欺事件に関与していたのであれば、被告人がこの事件によって得た利得について全く分配に与らないというのは通常考えられないことであり、関係証拠によっても、このことを合理的に説明し得るような事情が全く窺えないことに照らすと、この点も、被告人がこの事件の共犯者ではなかったということを強く窺わせるものというべきである。
3 結論
以上に検討したところによると、被告人がA8宅放火・詐欺事件の共犯者であるとするA1の供述は、その信用性に重大な疑念を抱かしめるものといわざるを得ない。
四 A8宅の火災現場に遺留されたポリタンクについて
関係各証拠によれば、A8宅の火災現場から、灰色で形状は立方体に近く、表面に「日産化学」の文字が刻されたポリタンクの残焼物(昭和六三年押第四二号の五)が発見されたこと(前提事実3)、その後、被告人が当時居住していた青森市<以下省略>所在の建物(以下、「古館の建物」という。)の裏のホームタンクの下からこれと同種のポリタンクが発見されたこと、これらのポリタンクは、被告人方の前所有者であるA22が特別の経路で数個入手しホームタンク下に置いていたものであり、形状・材質等特殊なもので一般には販売されていないこと(外見上からも一見して一般家庭用に販売されているものとは異なる特殊なものと見てとれる。)、以上の各事実が認められ、これらの事実によると、A8宅の火災現場から発見されたポリタンクは、当時の被告人方から持ち出され、A8宅放火の犯行に使用されその場に遺留されたものと推認されるのであって、この事実が、A8宅放火に関する被告人の関与の嫌疑を深めるものであることは否定できない。
しかしながら、被告人がA8宅放火の犯人であるとすれば、市販されているごく一般的なものではなく、自宅にある一見して特殊なポリタンクをわざわざ犯行に用い、現場に自分と繋がる証拠を残しかねない危険を冒すというのは、犯罪者の心理としては理解し難いうえ、関係各証拠によれば、「日産化学」のポリタンクは、A22が居住していた昭和六〇年ころから屋外のホームタンク下に放置されており、古館の建物に出入りする者であれば、比較的容易にこのポリタンクの存在に気づくことができ、また、これを他人に見られずに持ち出すことも充分可能であり、しかも、当時、A1やA3も古館の建物に出入りしていたことが認められるのであって、これらの事実によると、A1やA3あるいは別の第三者がこのポリタンクを持ち出して犯行に使用した可能性も否定することができないというべきである。
そうすると、A8宅の火災現場に遺留されたポリタンクをもって、被告人がA8宅放火の実行犯あるいは少なくとも共謀共同正犯であることの決定的な証拠とみることはできない。
五 被告人の関与を窺わせる他の供述証拠の評価
1 三〇〇〇屯岸壁に行く前の会合について
(一) A1は、昭和六一年三月下旬ころ、被告人らと三〇〇〇屯岸壁に行く前にcアパートに集まった際の状況について、前記三・1・<6>のとおり供述しているが、これに関係する供述証拠としては、A23(第二二回公判〔甲三七二〕、第六一回公判)及びA20(第二〇回公判〔甲三八四〕、第六〇回・第九二回公判)の各供述がある。
(二) まず、A3の内妻であるA23(以下、「A23」という。)の供述は、概ね「被告人、A10、A3、自分、A1、A20の六人がcアパートに集まったことがあったような気がする。また、時期ははっきりしないが、被告人とA3がcアパートから外出し、A10と自分が残ったということが一度あった。その際どのような話をしたかは覚えていない。」というものである。
次に、A20の供述は、概ね「昭和六一年の三月や四月ころはひと月に一〇回くらいcアパートに行ったが、そのうち、被告人、A10、A3、A23、A1の五人がいたことが二回くらいあり、また、被告人、A3、A1の三人が途中でcアパートからいなくなるということもままあった。A3は『保険をかけて火をつけて燃やしてしまうのが一番楽だ。』などとよく口にしていた。被告人とA3がcアパートでA2宅に放火するような趣旨のことを冗談ぽく話していたのを聞いた記憶もあるが、A8宅のことを聞いた記憶はない。」というものである。
(三) 検討
(1) まず、A23の供述からは、cアパートに被告人ら六人が集まったことがあるということが窺えるだけで、その時期やその際の状況は不明確であって、右供述は、それ自体では謀議を立証するに足りるものではないことはもとより、この点についてのA1供述の裏付けとしても極めて不充分である。
(2) 次に、A20の供述からは、昭和六一年の三月ころから四月ころにかけて、被告人、A10、A3、A23、A1及びA20の六人がcアパートに集まったことが数回あったこと、そのころ、被告人、A3及びA1の三人が途中でcアパートからいなくなることが何度かあったこと、そのころ、被告人とA3がcアパートでA2宅に放火するような趣旨の話をしていたことが窺える。
しかし、関係各証拠によれば、A3は「保険をかけて放火すればいい。」などと人前で平然と放言していたことが認められ、A3のこのような言動に照らすと、A3が被告人に対して他人の家に放火するような趣旨の話をしていたということのみでは、被告人もその放火事件の共犯者であると推認することは困難であるばかりか、A20の供述中にはA8宅放火・詐欺事件について被告人が関与していたことを窺わせる内容はないから(A20は、第九二回公判において、「A3は『A2宅とA1宅を一緒に燃やしてしまえばいい。』などと言っていた。」と供述している。)、少なくとも、被告人がA8宅放火・詐欺事件の共犯者か否かの立証という限度では、A20供述は、それ自体では謀議を立証するに足りるものではないことはもとより、この点についてのA1供述の裏付けとしても不充分である。
2 A8宅の合鍵の手配について
(一) A1は、A3からA8宅の合鍵の手配を依頼され、その後、被告人から催促された状況について、前記三・1・<10>のとおり供述しているが、これに関係する供述証拠としては、A14の供述(平成元年二月二五日付検面〔甲二六四〕、第四一回公判〔甲四二五〕)がある。
(二) A14の供述は、概ね「昭和六一年五月の連休前に被告人に付いてd社の事務所に行った際、被告人がA1に『鍵どうした。』と尋ねると、A1は『まだだ。』と答えていた。五月の連休後に被告人に付いて同事務所に行ったとき、被告人がA1に『鍵作ったか。』と尋ねると、A1は『ああ、作った。』と答えていた。」というものである。
しかし、A14供述からは、右のA1と被告人の会話に出てくる鍵とは、何の鍵かあるいはどの家の鍵かも判然としないのであって、右のA14供述は、それ自体ではA1と被告人がA8宅の鍵の話をしていたことを立証するに足りるものではなく、この点についてのA1供述の裏付けとしても不充分であることは明らかである。
3 A8宅放火の実行犯の手配について
(一) A23は、A8宅放火の実行犯の手配に関係することについて、概ね「被告人とA3が『被告人が東京から専門家を連れて来る。先に三〇万円か五〇万円を支払い、その後、保険金が入ったら三〇〇万円を支払う。』などと話していたのを聞いた。また、その後、A3が『火事の前は被告人が東京から火をつける人を連れて来るものと思っていたが、被告人が火をつけたのではないか。』と言っていた。」旨供述する(第二二回公判〔甲三七二〕)。
(二) しかし、A23は、公訴事実上、被告人らに殺害されたとされているA3の内妻であった者であり、右供述当時、被告人をA3殺害の犯人と信じて被告人に強い憎しみを抱いていたことが窺われるのであって、A23供述の信用性は慎重に検討する必要があるうえ、関係各証拠によっても、A23がいうところの「専門家」が実在するのか極めて疑わしく、しかも、A23の供述自体を裏付ける証拠はない。
仮にA23供述が信用できるとしても、これを子細に検討すると、東京から専門家を連れて来るという話を聞いたのはA8宅が火事になる前のことであり、被告人が火をつけたのではないかという話を聞いたのはA8宅が火事になった後のことであると認められるものの、その明確な時期は特定できず、A23が聞いたとする会話の内容からは、被告人らがどの放火事件について話していたのかも全く特定できないのであって、これにA8宅放火・詐欺事件とほぼ同時期にA2宅放火・詐欺事件が敢行されていた事実を加えると、A23が聞いた右の被告人とA3の会話がA2宅放火に関するものであるということも充分に考えられるところである。
したがって、右のA23供述をもって、被告人がA8宅放火・詐欺事件の共犯者であることを示す有力な証拠ということはできない。
4 A8宅放火の実行犯について
(一) A1は、前記三・1・<13>のとおり、A8宅の火災当日の出火時刻ころには、A3とA23の三人でcアパートにいた旨供述するが、これが事実であれば、A1とA3以外にも共犯者がいて、その者が放火の実行犯ということになり、そうすると必然的に被告人の関与がより強く疑われることになる。
(二) この点に関係する供述証拠としては、A23の供述(平成元年二月二七日付検面〔甲二四三〕、第六一回公判)があり、これを要約すると、概ね「昭和六一年春ころ、A1がcアパートに来て夕食を食べたことがある。A1は、午後七時ないし八時ころから午後九時ころまでいたと思う。また、はっきりしないが、夕食を食べているときに消防車のサイレンが聞こえたことがあったような気がする。」というものである。
(三) 右のA23供述は、大筋では前記のA1供述と符合するもののようにもみえるが、A23供述の一般的信用性は前記3・(二)のとおりであるうえ、時間の経過による記憶の減退もあるとはいえその供述内容は暖昧であって、この点についてのA1供述の裏付証拠としては不充分といわざるを得ない。
六 結論
以上に検討したとおり、被告人がA8宅放火・詐欺事件の共犯者である旨のA1供述は信用できず、また、放火現場の遺留品のポリタンクやA23ら関係者の供述も、被告人と同事件を結び付ける決定的な証拠とはなり得ない。
そして、他に同事件に被告人が関与したことを認めるに足りる証拠はなく、そうすると、被告人を同事件の共犯者と認定することには合理的な疑いがあるから、同事件については犯罪の証明がなく、被告人は無罪である。
第二 A2宅放火・詐欺事件について
一 前提事実
以下の各事実は、関係各証拠から容易に認定することができる。
1 A1とA2の関係等
(一) A2(公判分離前の相被告人。以下、「A2」という。)は、昭和四〇年ころから土木関係の事業を営んでいたものであるが、昭和四六年ころ、当時自動車販売会社に勤務していたA1と知り合い、以後、車両の取引を通じて親しく付き合うようになった。
(二) A2は、昭和五四年ころに愛人を作ってから仕事に身が入らなくなり、そのため事業も行き詰まって徐々に借金を増やし、昭和五九年ころからはA1からも金を借りて急場を凌ぐなどしていたが、昭和六〇年にはみちのく銀行などの金融機関からの借入れが三〇〇〇万円を超え、結局、資金繰りに窮した末、昭和六一年一月に小切手の不渡りを出し、同年三月にも手形の不渡りを出して銀行取引停止処分を受けるに至った。
(三) ところで、A2は、昭和六〇年二月ころ、取引先のA24が振り出した約束手形の取立てをA1に任せたところ、その後、右手形が被告人の手に渡り、被告人が右手形金の取立てとしてA24所有のフォークリフト等を運び去るなどしたため、そのころ、A24の要請を受けて被告人と会い、そこで被告人を知った。しかし、A2は、その後は被告人と個人的な付き合いはなく、取引上のかかわりも特になかった。
他方、A2は、その後、d社の事務所に出入りするうちA3と知り合い、みちのく銀行などからの多額の借金の整理について相談するようになった。
2 A2宅放火・詐欺計画の発端
(一) A1は、昭和六〇年秋ころ、A8やA2に対する資金の回収などについてA3に相談していたが、同年末ころ、A2に対する貸金を回収するにはA8の場合と同様にA2宅に放火して火災保険金を騙取するしかないとA3から勧められ、A2宅放火とこれによる保険金詐欺を決意した。
(二) A1とA3は、そのころ、A2を右保険金騙取目的放火の仲間に引き入れようと企て、まずA3がA2にそれとなく持ちかけて断られたが、その後、A1が執拗に説得したところ、昭和六一年二月ころ、A2の承諾を得ることができた。
なお、A2は、同年一月七日以降、妻A4と別居し、青森市<以下省略>所在のeアパート三号室の愛人A25宅に住むようになっていた。
3 A2宅放火・詐欺計画の進行
(一) A1は、昭和六一年三月末か四月初めころ、A2をd社の事務所に呼び、保険金を取得して借金を整理するには借金の額に見合った保険をかけなければならないなどと言って、A2に全労済の火災共済契約の申込書に必要事項を記入させたうえ(保険金額は、建物につき二〇〇〇万円・家財につき六〇〇万円。)、四月三日、A2宅建物につき、A1において掛金を立て替えて全労済に火災共済契約の申込みをした。
(二) A2は、同年五月初めころ、A1から自宅の鍵を入手するように指示され、同月一八日ころ、妻A4が不在中のA2宅から同宅事務所側出入口の鍵を持ち出してこれをA1に渡した。
(三) A2は、同月二四日、愛人のA25らとともに、南津軽郡浪岡町所在のA25の友人A26宅に泊まった。
4 A2宅放火
昭和六一年五月二五日午前三時ころ、何者かが青森市<以下省略>所在のA2宅建物(二階建事務所兼居宅、床面積約一六七・八平方メートル。)に合鍵を使用して忍び込み、一階廊下の階段下付近に灯油様の物を撒き、これに点火して放火し、右建物を全焼させて焼燬した(なお、当時、A4は不在であった。)。
5 火災保険金の請求等
(一) その後、A1は、みちのく銀行がA2に対する債権回収の動きをみせていることをA2から教えられたことから、A2宅の火災により生じた火災共済金が同銀行に取得されるのを防ぐため、A2の全労済に対する火災共済金請求権(以下、「本件火災共済金請求権」という。)をA2から譲り受けたとの内容の公正証書を作成しようと考え、被告人に依頼して右内容の債権譲渡契約書及び公正証書作成用の委任状を起案してもらい、これにA2の署名捺印を得たうえ、同年七月一六日、A2と二人で青森市本町所在の青森公証役場に赴き、その旨の公正証書を作成した。
(二) A2は、同月一七日、A1の指示に従って全労済青森県本部に赴き、A2宅の火災を届け出た。
その際、A2は、全労済の職員から、掛金が不足していたため火災共済契約は建物についてのみ成立し家財については成立していないことを知らされ、そのころ、これをA1に伝えた。
(三) その後、A1は、青森市内のA27弁護士を訪ね、右(一)の公正証書に基づく本件火災共済金請求権の差押手続を依頼したが、同弁護士から、A1がA2に対して有する債権額よりも本件火災共済金請求権の額が大幅に高額であり債権譲渡には問題があることを指摘され、右依頼を断られた。
そこで、A1は、同年九月一二日、A2と二人で青森市長島所在の水野公証人役場に赴き、債権額を水増しして、A1がA2に対して九二二万余円の債権を有する旨の公正証書を作成した。
(四) 一方、みちのく銀行では、同年八月ころ、同銀行の職員がたまたま全労済の職員から、A2が自宅について全労済との間で火災共済契約を締結していたことを聞きつけ、同年九月一六日、本件火災共済金請求権を仮差押えした(債権額一九九五万九二四二円)。
A1は、そのころ、A2から、みちのく銀行が仮差押えをしたことを教えられた。
(五) そこで、A1は、同月二四日、A27弁護士に依頼し、右(三)のA1がA2に対し九二二万余円の債権を有する旨の公正証書を債務名義として、本件火災共済金請求権につき青森地方裁判所に対し債権差押及び転付命令の申立てを行い、その決定を得たが、第三債務者の記載方法が不適切であることが判明し、右申立てをいったん取り下げた後、同年一〇月七日、本件火災共済金請求権につき改めて債権差押命令を得た(債権額九二二万九五八八円)。
(六) 他方、被告人も、A2に公正証書作成用の委任状に署名捺印させ、同年九月二四日、これを使用し、被告人がA2に対して元本一〇〇〇万円の債権を有する旨の公正証書を作成し、同年一〇月四日、これを債務名義として本件火災共済金請求権につき青森地方裁判所に対し債権差押及び転付命令の申立てを行い、その決定を得たが、第三債務者の記載方法が不適切であることが判明し、右申立てをいったん取り下げた後、同年一〇月一四日、本件火災共済金請求権につき改めて債権差押及び転付命令を得た(債権額一一七〇万七〇七三円)。
(七) A2は、同年一二月二日、全労済に対し、A2宅火災に関して正式に火災共済金の支払を請求し、全労済は、同月一八日、右請求を受けて一六〇八万円を青森地方法務局に供託した。
そして、青森地方裁判所は、昭和六二年五月二七日、右供託金のうち、四六〇万三〇七五円を被告人に、三六二万九一九九円をA1に、七八四万七七二六円をみちのく銀行にそれぞれ配当し、そのころ、右各配当金が支払われた。
(八) 被告人は、右配当後間もない同月三〇日、A1のd社名義の銀行口座に内妻のA10名義で五〇万円を振込送金した。
二 争点
被告人は、A2宅放火・詐欺事件についても、A8宅放火・詐欺事件と同様に、捜査・公判を通じ、一貫して自己の関与を否定しているところ、関係各証拠を総覧すると、昭和六一年五月二五日午前三時ころ、A2宅の一階廊下付近から出火して全焼したこと、出火状況等からして右火災は何者かの手による放火であること、右火災の前には、A1において全労済の火災共済に加入し、火災後には、A1と被告人において火災共済金の入手のための諸手続を行い両名とも共済金を取得していること、そして、少なくともA1、A3及び提がA2宅の火災保険金目的による放火・詐欺を共謀したことが明らかであるが、その経緯の中で、被告人の関与を窺わせる事実としては、
<1> 火災後、A1がA2から本件火災共済金請求権を譲り受けたとする債権譲渡契約書及びその旨の公正証書作成用の委任状を被告人が起案したこと(前提事実5・(一))
<2> 火災後、A2に委任状を作らせてこれを使用し、被告人自身もA2に対して元本一〇〇〇万円の債権を有する旨の公正証書を作成したうえ、これを債務名義として本件火災共済金請求権を差し押え、四六〇万円余の配当を受けたこと(前提事実5・(六)及び(七))
<3> 右配当の直後、被告人がA1に五〇万円を送金したこと(前提事実5・(八))が挙げられる。
右の<1>ないし<3>の事実のみからは、被告人がA2宅の保険金目的の放火・詐欺をA1らと共謀したとの事実を認定するまでには至らず、また、A2宅放火・詐欺事件においては、放火と被告人を直接結び付ける証拠としては、物的証拠は存在しないが、「昭和六一年三月末から五月にかけて被告人と放火について度々謀議を重ねた。」とするA1の供述及び「同年四月末ころ被告人を交えて放火について謀議したことがある。」とするA2の供述がある。
そこで、以下においては、A1及びA2の各供述の信用性を中心に検討を加え、併せて右<1>ないし<3>の事実が被告人とA2宅放火・詐欺事件を結び付けるものであるか否かについても検討することとする。
三 A1及びA2の各供述の信用性等
1 A1供述の一般的な信用性
(一) A1は、「A2宅放火・詐欺事件を共謀したのは、A1、A3、A2及び被告人の四人であり、また、放火の実行行為を行ったのは被告人だと思う。」旨一貫して供述する。
しかし、A1は、A8宅放火・詐欺事件に関し、前記第一・三で検討・判断したとおり、被告人が関与していたとして被告人に不利な虚偽の供述をした疑いが強く、これにA8宅放火・詐欺事件とA2宅放火・詐欺事件は計画・実行とも概ね同時期に進行していて関連性が高い(特に昭和六一年三月の三〇〇〇屯岸壁における謀議は、両事件についてなされたものとされている。)ことを考え併せると、A2宅放火・詐欺事件に関しても、A1は虚偽の供述をしているのではないかとの疑念を抱かざるを得ない。もっとも、共犯者とされる者が真偽を取り混ぜて供述するということは往々にしてみられるところであり、一部に虚偽の供述があっても、そのことから直ちに他の供述部分も虚偽であると即断することはできないのであるから、A2宅放火・詐欺事件に関するA1供述については、A8宅放火・詐欺事件に関する供述とは一応別個に慎重に吟味する必要がある。
(二) A1の供述内容全般について
A2宅放火・詐欺事件に関するA1供述の内容は、犯行の前後の状況も含めて一応具体的かつ詳細ではあるものの、A8宅放火・詐欺事件に関する供述と同様に、このような事案においては極めて重要な謀議内容と考えられるA2宅の建物にかける保険の保険金額や取得される保険金の分配方法に関する謀議について明確な供述がなく、また、被告人が放火の共犯に加わった動機や経過についての説明もほとんどないうえ、いつ、どのようにして放火を実行するかについての具体的な謀議に触れた部分もなく、放火の実行犯が誰かという点についても被告人ではないかと推測して述べるだけで明確な供述がないなど、供述内容には不自然なところがある。
(三) A1の供述の変遷
A2宅放火・詐欺事件に関するA1供述には、その一部に次のような変遷がみられる。
(1) A1は、捜査・公判を通じ、「放火の二、三日前、A2から土曜日に泊まりがけで浪岡に行くと聞き、これをA3に伝えた。」と供述していたが、第九七回公判において、A2が泊まりがけで出かけることを直接「被告人に伝えた。」として従前の供述を変更した。
(2) A1は、当初、「被告人から『火をつけるとき鍵が丈夫で家に入るのに手こずった。』と言われた。」(昭和六三年九月一八日付検面〔乙三〕とし、被告人が自らA2宅に放火したことを前提とする発言をしていた旨供述していたが、その後、「被告人から『事務所から玄関に入る戸が渋くてなかなか開かず、火をつけるために家に入るのが大変だったらしいよ。』と言われた。」(平成元年二月一〇日付員面〔甲四九三〕。その後、公判でも供述内容は一貫している。)とし、被告人が自分以外の者が放火したことを前提とする発言をしていた旨供述を変更した。
(3) A1は、A2宅放火後の保険金を請求する段階で、被告人からA3を仲間から外そうと言われこれを承諾したと供述するが、A3を仲間から外した理由につき、捜査段階では、「分け前が少なくなるからである。」(平成元年三月二日付検面(全四〇丁のもの)〔乙三二〕)と供述したり、「A3が放火のことを言い触らすことが理由である。」(同月三日付員面〔甲五〇二〕)と供述していたが、公判段階では、A3を外した理由を尋ねられても答えられず(第三七回公判)、さらには、「分け前が少なくなるという話はしていなかったと思う。」(第八三回公判)と供述するに至った。
(4) 右の(1)ないし(3)の供述部分は、いずれも、被告人がA2宅放火に関与したか否かにかかわる重要な部分であるが、A1はいずれの点についても供述を変更した理由について合理的な説明をしていない。
(四) 他の証拠から認められる事実との不一致
A1は、捜査・公判を通じ、概ね「昭和六一年七月ころ、みちのく銀行からA2に宛てて差押えの書類が届き、自分がこれを被告人に見せたところ、被告人が『大変だ。みちのく銀行に全部持っていかれるから、こっちも手を打たなきゃ。』と言い、その後、被告人に債権譲渡契約書を書いてもらったうえ同内容の公正証書を作成した。」と供述する(平成元年三月二日付検面(全四〇丁のもの)〔乙三二〕、第一三回公判)。
しかし、前提事実5・(一)及び(四)のとおり、右の公正証書が作成されたのは昭和六一年七月一六日であるが、みちのく銀行においてA2が全労済の火災共済に加入していることを知ったのはその後の同年八月に入ってからであり、実際に本件火災共済金請求権を仮差押えしたのは同年九月一六日である。したがって、A2にその旨の決定が送達されたのは同日以後であることが明らかであるが、そうすると、差押えの書類が届いたのであわてて債権譲渡の公正証書を作成したとのA1供述は、客観的事実に反することになる。
(五) 以上によれば、A2宅放火・詐欺事件に関するA1の供述は、少なくとも右(三)及び(四)の点に関する部分については信用できずあるいは信用性が低いものと評価され、全体としても信用性の低いものと評価せざるを得ない。
2 A2供述の一般的な信用性
(一) A2は、捜査段階においては、A1、A3及び被告人と共謀してA2宅放火・詐欺事件を敢行した旨述べていた(平成元年三月二日付検面、同月三日付検面〔乙三五・三六〕)が、公判においては、一転して自らの犯行への関与を否定し、これに伴い他の者との共謀の事実も否定するに至ったが、有罪を認定した一番判決に控訴せずに服役し、仮釈放された後に行った再度の証人尋問(第九三回・第九四回公判。以下、「再度の証人尋問」という。)においては、概ね捜査段階におけると同旨の供述に戻り(但し、捜査段階の供述と再度の証人尋問の際のそれとを比較すると、大筋では一致するものの、細部には符合しない点や捜査段階の供述を明確に否定する部分もみられる。)、供述を変遷させた理由につき「公判で否認していたのは、家族のこともあったし、地元では名士ということであったので自分の名誉を傷つけたくなかったからである。」旨説明している。
(二) A2の捜査段階及び再度の証人尋問における各供述の信用性
(1) A2の供述は、右のとおり、一貫性を欠いて極端に変遷しているが、その供述変遷の理由はそれなりに納得できるものであるし、捜査段階と再度の証人尋問とにおける供述の齟齬についても、大筋においては一致しているうえ、再度の証人尋問は事件発生から約八年後に行われたもので、年月の経過に伴う記憶の混乱や欠落を考慮すれば多少の齟齬はむしろ自然と考えられ、右のような一貫性の欠如や供述の細部の齟齬といった事情は、さほど信用性を低下させるものではないというべきである。
(2) 次に、A2において、敢えて虚偽の供述をするような動機・原因があったか否かを検討する。
<1> A2の供述は、A1と同様にいわゆる共犯者の自白であり、一般的には、自己の行為を他人に押し付けたり、自己の役割を過少に印象づけるため虚偽の供述をしている可能性が考えられるところである。
しかし、A2がA2宅放火・詐欺事件にかかわるようになった経緯やそこで果たした役割は、前提事実のとおりであって、A2がA2宅放火・詐欺事件において主導的な立場になく、火災当夜のアリバイの存在から放火の実行行為も担当しなかったことは明らかである。そうだとすれば、被告人をあえて共犯者として事件に巻き込んでも、単に共犯者が一人増えるというだけで、A2自身の刑責にはそれほどの影響はなく、A2自身もその程度の認識は有していたはずである。
したがって、A2が自己の刑責を軽減するために、無実の者を罪に陥れることになるような重要な事実について、あえて虚偽の供述をした可能性は低いというべきである。
<2> 次に、A2が被告人に対する恨みから虚偽の供述をした可能性を検討する。
A2は、再度の証人尋問において、自分を騙した被告人らを絶対に許すことはできないなどとして、被告人に対する強い悪感情を表明している(但し、A2は、騙されたとはっきり思うようになったのは刑が確定してからであるとも述べている。)が、この点に関するA2の供述を検討すると、結局、A2のいわんとするところは、被告人がA1とぐるになってA2宅の放火・詐欺事件を仕組み、これにA2を引き入れながら、自分達だけ利益を得てA2には分け前をよこさなかったという意味で騙されたという点にあり、そもそも被告人がA2宅放火の共犯者であることが前提となっているのである。
そうすると、A2が、共犯者でもない被告人に対して恨みを抱き、その恨みを晴らすために被告人を自己の犯罪に巻き込もうとしたものと考えることはできない。
<3> 最後に、A2が捜査官に誘導されこれに迎合するなどして虚偽の供述をした可能性を検討する。
捜査段階においては、厳しい取調べから逃れたいとか、被疑者の立場上、将来の処遇を慮るなどして捜査官に迎合したという事例がないわけではない。本件でも、A2が、再度の証人尋問において、捜査段階の供述中の被告人の関与に関する部分の数か所についてこれを明確に否定する供述をしている(後記3以下)ことに照らすと、A2の捜査段階の供述中には捜査官に誘導されこれに迎合するなどして虚偽の事実を述べた部分が含まれていなかったとは断定することができない。
(3) しかしながら、再度の証人尋問におけるA2の供述態度をみると、それは単に捜査段階の供述内容を追認するというのではなく、自己の記憶に反することであれば、捜査段階の供述中の被告人の関与に関する部分といえども、検察官に迎合することなくこれを明確に否定しているのであって、その供述態度は真摯なものと認められ、これに右に検討したところを加えると、A2の再度の証人尋問における供述には、年月の経過に伴う記憶の減退等によって暖昧なところがあるとしても、その信用性は一般的に高いものと評価でき、再度の証人尋問における供述と符合する捜査段階における供述部分もまた充分に信用できるといえる。
3 被告人がA2宅放火・詐欺事件に関与した旨のA1及びA2の個別の供述の信用性
(一) 三〇〇〇屯岸壁での謀議
(1) A1の供述要旨
A1は、概ね「昭和六一年三月末ころ、A8の四五〇〇万円の借用書の件などについてA3に相談するためcアパートに行くと、A3夫婦、被告人夫婦とA20がいた。その際A3が、A8宅とA2宅を一緒に燃やしてしまえばいいなどと言い出したため、被告人がA3と自分を連れ出し、自分が運転する車で青森港の三〇〇〇屯岸壁に行った。そこで被告人は『A8のところは家が密集していて問題ないが、A2のところは道路に面しているため直ぐに見つけられてしまうので、火をつけるのは雨のときがいい。久栗坂には消防車はあるのだろうか。』などと言っていた。」旨供述する(平成元年二月三日付員面(全三四丁のもの)、同月一〇日付員面、同年三月二日付検面(全一九丁のもの)〔甲四九二・四九三・乙三一〕、第一一回公判等)。
(2) 検討
A8宅放火・詐欺事件で検討したとおり(前記第一・五・1)、まず、A1らが昭和六一年三月下旬ころcアパートに集まった際の状況に関するA1供述を裏付ける証拠であるA23やA20の供述によると、昭和六一年の三月から四月にかけてのころ、被告人夫婦、A3夫婦、A1及びA20の六人がcアパートに集まったことが数回あったこと、そのころ、A3が、cアパートで被告人らがいるところで、A2宅を放火するような趣旨のことを言ったことが認められ、この限度で、A1供述には裏付けがあり、この限度でA1供述は信用できるものと評価できる。しかし、前示のとおり(第一・五・1・(三)・(2))、A3が人前で平然と放火のことを口にする人物であったことからすると、A3がA2宅放火について被告人らに話していたということのみでは、被告人がA2宅放火・詐欺事件の共犯者であるとする決定的な証拠とはいえない。
また、被告人らが、三月下旬ころ、青森港の三〇〇〇屯岸壁に行ったか否か、仮に行ったとしてそこでどのようなことがあったのかという点については、これを裏付ける証拠はない。
(二) 青森厚生年金会館での一回目の謀議
(1) A1、A2及びA20の各供述要旨並びに被告人の弁解
<1> A1の供述要旨
A1は、捜査・公判を通じ、概ね「昭和六一年四月中旬ころ、自分、被告人、A3、A2及びA20の五人が厚生年金会館のレストランに集まって昼食をとった。その際、被告人が『火をつけるにしてもA2の本妻が家にいるのであればやれない。いないときでないと火はつけられない。』と言って、A2に対し本妻A4の勤務時間や帰宅時間などを尋ねた。これに対し、A2は、A4は病院に勤めており自宅から通勤しているが、娘のところに泊まったり、男を作って部屋を借りたらしいなどと答えた。その際、被告人から、火をつけるときにはアリバイを作っておくようにとの話もあり、また、A3から、A2宅の鍵を入手する話なども出た。これらのやりとりはA20も聞いている。」旨供述する(平成元年二月一〇日付員面、同年三月二日付検面(全一九丁のもの)〔甲四九三・乙三一〕、第一一回公判等)。
<2> A2の供述要旨
ア 捜査段階の供述
A2は、概ね「昭和六一年四月末ころ、厚生年金会館のレストランで、A1、被告人、A3、自分とA20の五人が集まったことがある。そのとき、A20は別のテーブルに座った。その際、被告人から『おめのかかあ何やってるんだ。かかあのいるところで火つけられるわけねえから、お前のかかあ休みの時はいつだ。』などと妻A4の仕事や勤務日程などについて尋ねられたので、A4は病院に勤めており、日勤で泊まりのないことは分かっているが、いつ休みなのかは分からないと答えた。被告人は『かかあの休みもわがらねんだが。』と言って腹を立て、結局、被告人がA4の動向を調べることになった。なお、このころ、被告人らと厚生年金会館でもう一回会っており、そのいずれかのときに、被告人から、A2宅の鍵を持って来るように言われた。」旨供述する(平成元年三月二日付検面〔乙三五〕)。
イ 公判での供述(自己の関与を否定していたときのもの。以下、同じ。)
A2は、「厚生年金会館で被告人を交えて昼食をとったことはあるが、その際の被告人の言動は覚えていない。」旨供述する(第一六回・第四二回公判〔甲三九〇・三九二〕、第五三回公判等)。
ウ 再度の証人尋問における供述
A2は、概ね「昭和六一年四月末ころ、A1から誘われて一緒に厚生年金会館に行き、A1、被告人、A3及びA20と昼食をとった。自分はA1と並んで被告人と向き合う形で席に着き、A20は別のテーブルに座った。多分この場であったと思うが、被告人から妻の勤務状況を尋ねられ、『かかの勤務割りは分かりません。』というように答えたところ、被告人から『調べておけ。』と言われた。その際、被告人は、A4に男がいるのではないかとも言っていたと思う。ただ、被告人から、アリバイを作るように言われたことはないし、A2宅の鍵の話も別の機会にA1から言われたことである。」旨供述する(第九三回・第九四回公判)。
<3> A20の供述要旨
A20は、概ね「A2とは、A2宅の火事の前に四、五回会っている。場所は、d社の事務所か厚生年金会館か青森市松原の喫茶店『赤い林檎』である。そのうち、火事の話を間違いなく耳にしたのは『赤い林檎』だけである。厚生年金会館では、A2、A1、A3と被告人の四人が話をしていて、火をつけるとかそういう類の話ではないかと感じたが、一緒になって隣で話を聞いたわけではないので、はっきりとは分からない。」「昭和六一年五月の連休のころ、『赤い林檎』に、A1、A3、A2と自分の四人が集まり、話をしたことがある。このとき被告人はいなかった。A3がA2に『とにかくA2の奥さんがいないときでなければ火をつけられないんだから、いついなくなるのか、それをはっきり教えてくれ。』とか『ストーブまだあんだべな。』などと話し、また、A3とA1が『保険金、間違いなくかかってるんだべな。』などとA2に確認した。A2は、保険については入っていると答え、妻の行動については『何か用事を作って家へ行って確かめてくる。』と答えていた。」旨供述する(第二〇回公判〔甲三八四〕)。
<4> 被告人の弁解
被告人は、「昭和六一年四月ころに厚生年金会館で、A3及びA1と会ったことはあるが、A2を交えて昼食をとったことはない。」旨弁解する(平成元年三月七日付検面〔乙九四〕、第六五回公判)。
(2) 検討
<1> A1供述の信用性
A1供述については、既に指摘したとおり、その信用性に問題のある部分が多いうえ、A1は、A2宅の放火は被告人が実行したと思うと述べており、実際には自らA2宅放火を実行したA1が、その刑責を軽減するため、無実の被告人に実行行為者の濡れ衣を着せようと虚偽の供述をしたという可能性も考えられないわけではないことから、右のA1供述は、A2やA20の供述など他の証拠によって裏付けられない限り信用できないというべきである。
<2> 捜査段階及び再度の証人尋問におけるA2供述の信用性
ア 前記2で検討・判断したとおり、A2の再度の証人尋問における供述及びこれと符合する捜査段階における供述部分、すなわち「昭和六一年四月末ころ、厚生年金会館で、A1、被告人、A3、A2及びA20の五人が集まった際、被告人が、A2宅に放火することを前提に、A2に妻A4の勤務時間や帰宅時間等を聞いた。」という限度では、A2の供述は信用性が高いと評価できる。
イ また、右のA2供述は、A2宅放火・詐欺事件の計画が進行する過程における謀議として、その内容自体に特に不自然・不合理な点もない。
ウ A20供述との整合性
A2供述では、青森厚生年金会館での一回目の謀議の際、A20は別のテーブルにいたというのであり、この点でA20供述はA2の供述と符合し、また、そうであれば、A20が、そのときの謀議内容についてA2供述を裏付ける供述をしていないことも自然なことである。
しかし、他方で、A20の供述は、青森厚生年金会館における被告人の言動を別の機会・場所でA3が発言したかのようになっている。
したがって、誰が尋ねたかはともかく、仮に、A2宅放火の謀議の際、A2が他の共犯者から妻A4の動向を明らかにするよう求められた機会が一度しかなかったことを前提とし、かつA20供述が信用できるとすれば、これとA2の供述は両立せず、結局、A2は、実際にはA3が他の場所でした発言を被告人が青森厚生年金会館で言ったものと思い違いをしているとみられることになり、その場合、A20供述はA2供述の信用性を否定する証拠となり得る。
そこで、以下、この点につき検討を加える。
まず、A20供述の信用性についてみると、A20は、第二〇回公判〔甲三八四〕において、「赤い林檎」での謀議を鮮明に覚えているかのように供述するが、右謀議があったとする昭和六一年五月から第二〇回公判(平成二年二月八日)までには、既に四年近い歳月が経過しており(記録上、A20は平成元年三月九日に検察官の取調べを受けていることが窺えるが、これとて右謀議の日から三年近く経過している。)、A20自身事件に直接関係したわけでもないから、果たして鮮明な記憶が保持されているかは疑問であるうえ、A20の供述によれば、当時はA2を交えた会合が数回あったことが認められ、A20が複数の会合の状況を混同している可能性もあると考えられること、また、A20の供述中、A3とA1がA2に対し保険に間違いなく入っているかを確認したとする点は、A1が昭和六一年四月三日に自ら保険加入の手続きをとっていることから(前提事実3・(一))、そのA1が同年五月ころになってA2に保険加入の有無を確認するというのは不自然であり、記憶違いないしは想像で述べた可能性も否定できないことなどに照らせば、A20供述の信用性は、ことの細部に及び部分についてはそれほど高くないというべきである。
次に、A2宅放火の謀議の際、A2が他の共犯者から妻A4の動向を明らかにするよう求められた機会が一度しかなかったか否かを考えると、A2とA20の各供述によれば、昭和六一年四月から五月にかけて、A2が他の共犯者らと数回にわたってA2宅放火の謀議を重ねていたことが窺われ、また、A2供述によれば、発言者と場所については別として、初めて妻A4の動向を尋ねられた際にはこれに答えることができなかったため、A2か被告人がこれを調べることになったことが認められるのであって、これらの事実によれば、青森厚生年金会館での謀議の後もA4の動向が把握できていなかったために、「赤い林檎」において、再度A3がA2に対し、前に被告人が詰問したのと同旨の発言をしたと考えることも充分に可能である(A2供述による青森厚生年金会館での被告人の質問が、A4の職業や勤務状態など基本的な事項を尋ねるものであるのに対し、A20供述による「赤い林檎」でのA3の質問は、「A4がいついなくなるか、それをはっきり教えてくれ。」というもので、基本的な事項は承知ずみであるかのようになっていることもこれを裏付けている。)。
以上によれば、A20供述の信用性は必ずしも高くなく、仮に信用できるとしても、A20供述とA2供述は両立し得ると考えられるのであって、A20供述は、A2供述の信用性を否定する根拠とはならないというべきである。
<3> 以上によれば、A2の再度の証人尋問における供述及びこれと符合する捜査段階における供述部分は信用することができ、これと符合する限度でA1供述も信用できるものと評価され、これに反する被告人の弁解は信用できない。
そして、これらの証拠によれば、被告人、A1、A3及びA2の四人が、昭和六一年四月末ころ、青森厚生年金会館において、被告人が、A2に対し、当時A2宅に居住していた妻A4の勤務時間や帰宅時間といったA4の動向を尋ねるなどして、A2宅放火・詐欺事件について謀議をした事実を認定することができる。
(三) 青森厚生年金会館での二回目の謀議
(1) A1は、概ね「A2宅放火の二、三日前、自分と被告人、A2の三人が厚生年金会館、青森市古館の喫茶店あるいは文化会館で会った際、被告人から『A4の動向を探るためA2宅に二晩続けて張り込んだが、A4は帰っていない様子だった。』と言われた。」旨供述する(平成元年三月二日付検面(全一九丁のもの)〔乙三一〕、第一三回公判)。
(2) A2は、捜査段階においては、「昭和六一年四月末ころか五月初めころ、自分とA1、A3、被告人の四人が、厚生年金会館のロビーに集まった際、被告人が妻A4の動向を探ってきたようなことを言っていた。」旨供述するものの(平成元年三月二日付検面〔乙三五〕)、公判においては、「厚生年金会館のロビーでA1とA3と会ったが、そのとき被告人はいなかった。」旨供述し(第一二回・第四二回公判〔甲三八九・三九二〕)、右の公判供述は再度の証人尋問の際にも維持されている。
(3) したがって、前記1及び2で検討・判断したとおり、右のA1供述及びA2の捜査段階における供述は、A2の再度の証人尋問における供述と符合しないから信用することはできない。
(四) A2宅の間取りの教示
(1) A1は、概ね「場所は明確ではないが、被告人からA2宅の間取りを聞かれ、紙ナプキンに書いて教えた。被告人はこのナプキンを丸めて灰皿に捨てた。」旨供述する(平成元年三月二日付検面(全一九丁のもの)〔乙三一〕、第一一回公判)。
(2) しかしながら、右のA1供述を裏付けるに足る証拠はなく、一般的にA1供述の信用性が低いことに加え、前記(二)・(2)で指摘したとおり、A1が被告人に実行行為者の濡れ衣を着せようとしている可能性も完全に否定できないことなどに照らせば、右のA1供述はにわかには信用し難い。
(五) 五〇万円の放火準備金とその返還
(1) A1は、概ね「昭和六一年五月中旬ころ、厚生年金会館のロビーか文化会館の喫茶店か古館の喫茶店で、被告人から『A2宅に火をつける人に払う金として五〇万円用意しろ。』と言われ、難色を示したが、『どうせお前に戻る金だし、何とか都合して立て替えておいてくれ。』と言われ、そのころ、五〇万円を被告人に渡した。この五〇万円をどこから調達したかについては覚えていない。この五〇万円は火災保険金の支払を受けた後被告人から返してもらった。」旨供述する(平成元年三月二日付検面(全一九丁のもの)〔乙三一〕、第一一回・第八〇回公判)。
(2) 被告人が、A2宅に関する火災保険金の配当を受けた直後の昭和六二年五月三〇日、A1のd社名義の銀行口座に内妻のA10名義で五〇万円を振込送金したことは前提事実5・(八)のとおりであり、右のA1供述中、火災保険金の支払を受けた後被告人から五〇万円を受け取った旨の供述部分は、これに沿うものである。
問題は、右五〇万円(以下、「本件五〇万円」という。)の送金の趣旨が、A1の供述するとおり、A1が被告人に以前交付した放火準備金の返金分であるかどうかである。
(3) そこでまず、前提となる事実関係についてみると、関係各証拠によれば、d社の預金関係綴り(昭和六三年押第四二号の二三)には、本件五〇万円の入金について、被告人から短期貸付金の返済を受けたものであるかのような記載があること、d社では、昭和六二年四月二七日に被告人から日産プレーリーを代金三〇万円で購入し、これを五月二九日に他に五五万円で売却しており、また、四月二八日にはA1の知り合いの自動車販売会社「f社」からマツダボンゴを代金一一万六〇〇〇円で購入して被告人に引き渡していることが認められる。
(4) 次に、本件五〇万円の趣旨に関する被告人とA1の各供述の要旨は次のとおりである。
<1> 被告人は、「本件五〇万円は、そのころA1から購入したボンゴの代金である。」旨弁解する(第六五回公判)。
<2> 一方、A1は、当初、「ボンゴの代金は本件五〇万円とは別にもらっており、d社の会計帳簿にも記載している。」旨供述していた(第四三回公判)が、その後「被告人からプレーリーを購入した際、その対価として現金三〇万円と箱型のバン一台を要求され『f社』からボンゴを仕入れて被告人に渡したのであり、本件五〇万円はボンゴの代金ではない。」旨供述し、さらに、「ボンゴを一一万六〇〇〇円で仕入れたが、車検費用が七、八万円であるからボンゴの価値は二〇万円程度のものである。」「被告人から購入したプレーリーの価値が約五〇万円で、被告人に現金で支払ったのが三〇万円であるから、これにボンゴ(二〇万円程度の価値)を付けて渡せば釣り合う。」旨供述し、ボンゴの取引がd社の会計帳簿に記載されていないことについては、「被告人との取引では利益をとれず仕入先からの委託販売として処理したためである。」旨説明している(第八〇回公判)。
(5) 検討
<1> 「f社」の経営者であるA28の供述(平成五年三月八日付員面〔甲七〇二〕)によれば、ボンゴは三〇万円ないし三五万円程度の価値があったこと、A1にボンゴをおよそ一〇万円で売却したのは、同業者間の取引でかつ一年で廃車にする条件が付いていたためであったことが認められる。
そうすると、被告人は自動車の販売を業としている者ではなく、また、A1が被告人に対してボンゴを一年で廃車にするという条件で渡したとの証拠もないから、A1が、ボンゴを二〇万円程度の価値のものとして被告人に渡したとは必ずしもいえない。他方、松宮の右供述によれば、ボンゴは付属品を付けたりすれば五〇万円程度の価値になり得るというのであって、ボンゴを五〇万円で買った旨の被告人の弁解も、あながち不合理とはいえず、これを直ちに排斥することはできない。
<2> 次に、A1は、前記(4)・<2>のとおり供述を変遷させているが、その理由について何ら合理的な説明をしておらず、また、変更後の供述についてみると、確かにボンゴの取引のみを単独でみれば、仕入価格の一一万六〇〇〇円と車検費用の約八万円の合計約二〇万円の支出に対し、約五五万年相当のプレーリーの二〇万円分が収入として対応するので利益がないともいえるから、ボンゴの取引を帳簿に記載しなかったということも一応は理解できるが、他方で、A1はプレーリーとボンゴの各取引は一体のものであると供述するが、関係各証拠によれば、プレーリーについては、仕入と売上ともにd社の会計帳簿に記載されていることが認められるから、ボンゴの取引を会計帳簿に記載しなければ、結局、d社の会計帳簿上は、プレーリーが五五万円で売れ、これに対応する費用が三〇万円のみで二五万円の利益が出ることになり、あえて取引実態と異なる記載をするというのは不自然であり、さらに、A1は、第八〇回公判において、この件に関して二五万円儲かったと供述し、結局、ボンゴとプレーリーの各取引が別個のものであることを自ら認める供述もしている。
(6) 以上のとおり、本件五〇万円の送金の趣旨に関するA1の供述には不合理な点があって信用性に乏しく、その反面、被告人の弁解にはそれなりに合理性があってこれを一概に排斥することはできない。
しかも、そもそもA1が供述するように、被告人も共謀のうえ全労済の火災共済金を取得したというのであれば、放火準備金とされるこの五〇万円についても負担割合があってしかるべきところ、A1の供述によると被告人が五〇万円全額を負担したことになるのであって、A1供述は、この点からみても不自然である。
以上に検討したところによると、被告人からの指示で五〇万円の放火準備金を用意して被告人に渡した旨のA1供述は信用できないものといわざるを得ない。
(六) A2宅放火後の被告人の発言
(1) A1は、概ね「被告人は、A2宅放火の後、『A2宅の事務所から玄関に入る戸が渋くてなかなか大変だったらしいよ。』と言っていた。」旨供述する(平成元年二月一〇日付員面、同年三月二日付検面(全一九丁のもの)〔甲四九三・乙三一〕、第一三回公判)。
(2) 一方、A4の供述(第一五回公判〔甲三八六〕、第五三回公判)によれば、A2宅の事務所から玄関に入る戸は、A2宅放火当時、戸の台車がすり減っており、開け閉めに支障のある状態にあったことが認められ、右のA1供述のうち、A2宅の戸の状態については裏付けがあるといえる。しかしながら、A1とA2の各供述によれば、A1は以前から度々A2宅を訪れており、玄関の戸が右のような状態にあることを知っていたことが認められるから、A1がその知識を利用して被告人を陥れようとした可能性も否定できず、さらに、A1は、前記1・(三)・(2)のとおり供述を変遷させているが、その理由について何ら合理的な説明をしていないことや、他に右供述を裏付ける証拠もないことなどに照らすと、右のA1供述をたやすく信用することはできない。
(七) 保険金の請求等
(1) A2の供述要旨
<1> 捜査段階の供述
A2は、捜査段階において、概ね「昭和六一年九月二〇日ころ、青森市桜川の喫茶店『むう』で、被告人とその連れの遊び人風の男及びA1に会った。そこで、別の喫茶店に行ったが休みであったため、被告人の車の中で話をすることにし、A1と一緒に被告人の車に乗り込んだ。このとき被告人から『このままでは銀行に保険金を全部持っていかれてしまうから、A1との間でやったようにお前が俺に一〇〇〇万円くらい借金があることにして公正証書を作るべし。』と言われた。自分は、とにかく保険金を取るには被告人の言うとおりにしなければいけないのだと思い、『わかった。』と返事をした。その一日か二日後、A1もいたd社の事務所で被告人と会い、被告人から『公正証書を作らねばだめだからこれに署名しろ。』と言われ、被告人から渡された委任状と六枚くらいの領収証に住所・氏名を書き実印を押した。」旨供述する(平成元年三月三日付検面〔乙三六〕)。
<2> 公判供述
A2の公判における供述は、概ね「昭和六一年九月ころ、理由も分からないまま、被告人から一方的に『一〇〇〇万円くらい借りたようにしろ。』と言われ、そのころ、領収書と委任状に署名・捺印した。」という限度で一貫しており、これは再度の証人尋問でも維持されている(第一六回・第四二回・第四五回公判〔甲三九〇・三九二・三九三〕、第五三回・第九三回・第九四回公判)。
(2) A1の供述要旨
A1は、概ね「自分が、A2を債務者とする公正証書を作成して保険金請求権を差し押さえたことを被告人に伝えたところ、被告人も同様にA2を債務者とする公正証書を作成して保険金請求権を差し押さえた。」旨供述する(平成元年三月二日付検面(全四〇丁のもの)〔乙三二〕、第一三回公判)。
(3) 被告人の弁解
被告人は、A2に委任状を作成させてそれを使用し、被告人がA2に対して元本一〇〇〇万円の債権を有するとの内容の公正証書を作成し、それを債務名義として本件火災共済金請求権を差し押え、四六〇万円余りの配当を受けたことは認める(第六六回公判等)が、この点につき「A3から、A2を債務者とする一〇〇〇万円くらいの借用書を渡され、その旨の公正証書を作成するよう依頼されたので、A2にその借用書を見せ、公正証書を作るからと言って委任状を書いてもらった。この公正証書による保険金請求権の差押えにより四六〇万円くらい入ったが、保険金を受領する前にA3に一五〇万円を渡しており、保険金受領後は二〇〇万円以上の金を何回かに分けてA3に渡した。残りの一〇〇万円くらいは書類を書いた礼金として貰った。」旨弁解し(平成元年二月九日付員面(全六丁のもの)、同年三月七日付検面〔乙八四・九四〕、第六六回公判)、さらに、「A2の供述によれば、みちのく銀行の債務を消すために本件を敢行したのであるから、銀行に持っていかれるのを防ぐために公正証書を作るというのは矛盾である。あるいは、取った金をどのように分配するのか相談したうえでやるのならまだ分かるが、そのような相談は一切なかった。」とも弁解する(第六六回公判)。
(4) A2供述の信用性等
<1> 前記三・2で検討・判断したところからすると、A2の再度の証人尋問における供述及びこれと符合する捜査段階の供述部分、即ち「昭和六一年九月ころ、被告人から、一方的に『一〇〇〇万円くらい借りたようにしろ。』と言われ、そのころ、領収書と委任状に署名・捺印した。」とする部分の信用性は高いと評価でき、また、右の供述内容をみると、それ自体に不自然・不合理なところがないうえ具体的であり、関係する公正証書や委任状、印鑑登録証明書などの客観的証拠ともよく符合し、それ自体にはなんら虚偽の誤解を窺わせる点はない。
また、右(2)のA1供述も、右の点では符合しており、これはA2の供述を補強する証拠と評価することができる。
<2> 一方、被告人の弁解について検討するに、まず、A3がA2に対し一〇〇〇万円もの金額の債権を有していたことを裏付ける証拠は全くなく、かえって、関係各証拠によれば、A3は、昭和六〇年ころ、d社の事務所に出入りしていたA2と知り合い、以後A2の相談相手になるなどしていたが、「自宅に放火して借金を整理するほかない。」などと言うばかりで、A2に金を貸した形跡も全くないことが認められるのであるから、A3が自身を債権者としA2を債務者とする一〇〇〇万円の借用書を有していたと考えることは到底できない。
また、関係各証拠によれば、A2は、銀行等の金融機関に対しては三〇〇〇万円以上の負債を抱えていたものの、これを除けば他に大口の借金はなかったものと認められるのであるから、A3が自身を債権者とするものではないにせよ、A2から一〇〇〇万円を取り立てることができる借用書を他から入手して持っていたというのもにわかには信じ難い。
そうすると、被告人のA2に対する一〇〇〇万円の公正証書は、A3の有していた債権またはA3が所持していた借用書などに基づくものではあり得ず、架空債権によるものであったということになる。
<3> 以上によると、少なくとも、A2の再度の証人尋問における供述、これと符合するA2の公判供述及び捜査段階の供述部分により、A2は、昭和六一年九月ころ、被告人から、一方的に「一〇〇〇万円くらい借りたようにしろ。」と言われ、そのころ、領収書と委任状に署名・捺印したことが認められ、これに反する被告人の弁解は信用できないが、これらの証拠のみからは、A2の捜査段階の供述中の「被告人から『このままでは銀行に保険金を全部持っていかれてしまうから、公正証書を作るべし。』と言われた。」との供述部分まで信用することはできない。
しかし、右の検討結果に加えて、被告人は、前示のとおり((二))、A2宅放火・詐欺事件の事前の謀議に加わっていたこと、後記四のとおり、A2宅火災後も、A1を通じてみちのく銀行の動向など本件火災共済金請求権をめぐる当時の状況を充分知っていたと認められることなどに照らせば、被告人は、みちのく銀行に火災共済金の全部を取得させずその一部を自己らが取得するため、自身を債権者としA2を債務者とする公正証書を作成し、これを債務名義として本件火災共済金請求権を差し押さえることにし、昭和六一年九月ころ、A2に対し、明確な理由も告げずに、一方的に『一〇〇〇万円くらい借りたようにしろ。』などと言って、そのころ、領収書と委任状に署名・捺印させたとの事実を認定することができる。
<4> なお、被告人は、A2はみちのく銀行の債務を消すために本件を敢行したのであるから、銀行に持っていかれるのを防ぐために公正証書を作成するというのは矛盾であると弁解するが、関係各証拠によれば、A2は、A3らの説明により、火災保険金が入れば借金が整理されたうえ幾分は手元にも入ると思い込んでいたこと、A2自身はどのような法的手続により保険金が手に入るのかその仕組みを理解しておらず、その関係については専ら仲間と思っていたA1や被告人に頼りきっていたことが認められるのであって、右事実によると、A2がA1や被告人に指示されるままに本件火災共済金請求権を差し押さえるための公正証書あるいは委任状の作成に同意したとしても、そのころのA2の心理状態に照らせばむしろ自然なことと考えられるのであり、このようなA2の行動に矛盾があるとはいえない。
四 被告人の弁解の検討
1 被告人は、A1がA2から本件火災共済金請求権を譲り受けたとの内容の債権譲渡契約書及びその旨の公正証書作成用の委任状を起案した点について、概ね「A3から頼まれたので、これらの書類を書いてA3に渡しただけである。これは、A1やA2と相談してやったものではない。自分とA2が仲間であって自ら公証人役場に行くのであれば委任状は不要であるから、自分が事情を知っていれば委任状は要らないと言ったはずである。」旨弁解する(第六六回公判)。
2 しかしながら、被告人とA3は、昭和六一年当時、主に債権の取立てなどを生業としていたものであり(A8宅放火・詐欺事件の前提事実1・(一))、そのような被告人が、火災保険金請求権の譲渡などといういかにも胡散臭い契約書について、その間の事情を親密な関係にあるA3やA1に問いただすことなく作成を引き受けるというのはいかにも不自然であり、前示のとおり(三・3・(二))、被告人がA2宅放火・詐欺事件の事前共謀に加わっていたことからしても、到底あり得ないことである。また、委任状の点についても、たとえ被告人がA2らと共犯であったとしても、A2の都合で公証人役場に行けない場合やA2が翻意した場合の備えとして、これを作成するということは充分にあり得ることといえる。
以上によると、この点に関する被告人の弁解は到底納得し得るものではないばかりか、かえって、右の被告人が債権譲渡契約書等を起案したという事実から、そのころ、本件火災共済金請求権をめぐる当時の状況について、被告人はA1を通じて充分了知していたことを認定することができ、これに前提事実を併せると、結局、被告人は、昭和六一年七月ころ、A1からみちのく銀行の動向を聞くなどして相談のうえ、債権譲渡契約書と委任状を起案したものであることが認定できる。
五 結論
1 以上に検討・判断したところを総合すると、前提事実に加え、<1>昭和六一年三月ころから四月ころにかけて、被告人夫婦、A3夫婦、A1及びA20の六人がcアパートに集まったことが数回あり、そのころ、A3が、被告人らがいるところで、A2宅に放火するような趣旨のことを言ったこと、<2>同年四月末ころ、被告人、A1、A3及びA2の四人が青森厚生年金会館に集まった際、被告人がA2に当時A2宅に居住していた妻A4の勤務時間や帰宅時間といったA4の動向を尋ねるなどして、A2宅放火・詐欺事件について謀議がなされたこと、<3>同年七月ころ、被告人が、A1からみちのく銀行の動向を聞いたうえ、債権譲渡契約書と委任状を起案したこと、<4>被告人は、みちのく銀行に火災共済金の全部を取得させずその一部を自己らが取得するため、A1と相談のうえ、自身を債権者とし、A2を債務者とする公正証書を作成し、これを債務名義として本件火災共済金請求権を差し押さえることにし、昭和六一年九月ころ、A2に対し、明確な理由も言わず一方的に『一〇〇〇万円くらい借りたようにしろ。』などと指示して、そのころ、領収書と委任状に署名・捺印させたことが認定でき、これらの事実からすると、A1と被告人が本件火災共済金請求権を別々に差し押さえたことやA1がわざわざ弁護士にその手続を依頼した理由が明確でないとしても、被告人は、A1、A3及びA2と共謀のうえ、A2宅に放火してその火災保険金を騙取しようと企てたこと、被告人、A1、A3のいずれかがA2宅に放火してこれを焼燬したこと(A2は、放火当夜にはA26宅に宿泊していたことから、放火の実行犯ではないことが明らかである。)、被告人がA2に対する架空の債権に基づいて本件火災共済金請求権を差し押さえ、配当として被告人自身に四六〇万円余りの支払を受けたほか、A2の債権者であるみちのく銀行への配当分をも含め、合計一六〇八万円の保険金を騙取したことの各事実を優に認定することができる。
2 もっとも、前示のとおり(三・3・(四)ないし(六))、A2宅の間取りの教示、五〇万円の放火準備金とその返還及びA2宅放火後の被告人の発言に関するA1の各供述部分は、いずれも信用することができず、他に被告人がA2宅放火を実行したことについての直接の証拠は存在しないこと、共犯者であるA1及びA3にもA2宅放火当時のアリバイがないことなどから、被告人がA2宅放火の実行行為を担当したとまでは認定することができない(なお、A2宅放火事件の公訴事実は、被告人とA1らが共謀のうえ、被告人においてA2宅に放火したというものであるところ、当裁判所は、右のとおり、放火の実行行為者を被告人とは特定せず共犯者のうちA2を除くいずれかの者と認定したが、本件の公訴事実と当裁判所の認定した事実との間には公訴事実の同一性があるうえ、検察官の冒頭陳述等によれば、検察官は本件を事前共謀に基づくものとして立証活動にあたっていたことが明らかであり、本件の審理経過をみても事前共謀の有無についても充分に審理が尽くされているのであるから、当裁判所の認定は、被告人に実質的な不利益を及ぼしたりその防御権を侵害したりするものでもない。したがって、本件において、右のとおり認定するのに訴因変更の手続をとることは要しないものと解される。)。
第三 A6宅放火事件について
一 前提事実
以下の各事実は、関係各証拠から容易に認定することができる。
1 A1とA6との関係等
(一) A1とA6(以下、「A6」という。)は、昭和四三年ころから家族ぐるみで親しく付き合っていた。
(二) A6は、昭和五七年ころ、弘前市内において「g」という屋号で自動車販売業を始めたものの、経営は思わしくなく、昭和六〇年ころには資金繰りに窮し、債務の返済資金と運転資金をまとめて借り入れ事業の再起を図ろうと考え、同年一二月三〇日、みちのく銀行からA1らを保証人として一三五〇万円を借り受けたが、見込み違いで右借入金は債務の返済等に全て費消されてしまい、昭和六一年五月ころには、右借入金の返済にも行き詰まり、債権者から厳しい取立てを受けるようになった。
(三) A6は、同年八月ころ、債権者が青森県弘前市所在の自宅について競売を申し立てようとしているのを知り、これをA1に相談したところ、右競売への対抗策を講じることになり、まず、同年九月九日、A6宅建物にA1名義で賃借権設定登記を行ったうえ、A6宅の家財をA1に譲渡とする旨の公正証書を作成した。
その後間もなく、A6の債権者である大正海上火災保険株式会社がA6宅の土地建物について競売の申立てを行い、青森地方裁判所弘前支部は、同月二六日、競売開始決定をしてこれを差し押さえた。
2 被告人によるA6宅の買取りと火災保険契約の締結
(一) A6は、自宅の土地建物について競売が開始されたため、いずれ立ち退かなければならないと考えていたところ、昭和六一年一二月ころ、A1から、立ち退くのであればいくらかでも金をもらって出たらどうかなどと執拗に勧められたことから、昭和六二年一月一〇日ころ、六〇万円程度の金を受け取るのと引換えに自宅の土地建物の登記名義を他に移転したうえ明け渡すことに同意し、その後、A1に右移転登記の申請に必要な書類を交付した。
(二) 他方、A1は、そのころ、被告人との間で、A6宅の土地建物を六〇万円ないし八〇万円で買い取ってもらうとの話を付けており、被告人は、この土地建物を知り合いのA7(以下、「A7」という。)名義で取得することとし、同人の承諾を得た。
(三) 同年二月初めころ、A6宅の買取りの件で、A1、A6、被告人及びA7の四人が青森厚生年金会館で顔を合わせた。
(四) 同月九日、A6宅について、土地をA6の妻A46から、建物をA6から、それぞれA7への所有権移転登記がなされた。
(五) 被告人は、右登記完了後間もなく、A7に対し、A6宅建物について全労済の八〇〇万円の火災共済に加入するよう指示し、全労済の申込用紙と掛金として二万円くらいの金を渡した。
A7は、実際に居住していない場合や競売にかけられている場合にも火災共済に加入できるのか不信に思い、そのころ、全労済青森県本部に行って尋ねたところ、そのような場合には加入できないと言われ、しばらく加入せずにいたが、その後、被告人から、銀行の窓口で申し込めば加入できると言われて催促されたため、同年二月二〇日ころ、青森信用金庫佃支店において、A6宅建物につきA7名義で全労済の八〇〇万円の火災共済に加入し、そのころ、これを被告人に伝えた。
しかし、A7は、右火災共済の掛金を申込時に一か月分支払ったのみで、その後は支払わずに放置したため、右火災共済契約は同年三月三一日をもって失効してしまった。
3 A6宅の明渡期限の変更
A6は、当初、昭和六二年三月一杯で自宅を明け渡す予定でいたが、転居先が見つからず、これをA1に相談したところ、明渡しは四月でも構わないと言われ、さらに、同年四月にも同様の相談をしたところ、五月でも構わないと言われたため、そのままA6宅に居住していた。
4 放火前日の花見
A1は、A6とその家族らを招いて青森市<以下省略>所在の自宅近くの運動公園で花見の宴会をしようと計画し、昭和六二年五月七日か八日ころ、A6に誘いをかけ、その後A6の承諾を得たうえ、同月九日の午後五時ころから七時ころまで、A1、A6とその家族、A6の勤務先の社長及びd社の従業員らが参加して、運動公園で焼肉を食べたりビールを飲んだりして花見の宴会を行い、引き続きA1宅に場所を移して飲食し、その後、A1とA6一家はそのままA1宅にとどまった。
5 A6宅放火
昭和六二年五月一〇日午前一時ころ、何者かが青森県弘前市<以下省略>所在のA6宅建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅、床面積約一〇三・五九平方メートル。)に合鍵を使用して忍び込み、一階八畳居間付近に灯油を撒き、これに点火して放火し、右建物をほぼ全焼させて焼燬した(なお、当時、A6ら家人は右4記載のとおりA1宅に宿泊していて不在であった。)。
6 A6宅火災後の被告人の行動
(一) 被告人は、A6宅火災の翌日、被告人の配下のA29が住むアパートに、A1とA7を呼び寄せた。
(二) その後、A7が警察に呼ばれて事情聴取されることになったが、被告人は、A7に対し、取調べでは被告人の名前を出さないように指示した。
(三) 被告人は、そのころ、A6宅について全労済の火災共済に加入したか否かをA7に確認したが、A7が加入したが失効したと答えたところ、怒ってA7を叱りつけた。
二 争点
被告人は、A6宅放火事件についてもA8宅及びA2宅の放火・詐欺事件と同様に、捜査・公判を通じ、一貫して自己の関与を否定しているところ、関係各証拠を総覧すると、昭和六二年五月一〇日午前一時ころ、A6宅の一階八畳居間付近から出火してほぼ全焼したこと、出火状況等からして右火災は何者かの手による放火であること、右火災の前にはA7において全労済の火災共済に加入したが、不手際で失効させたため火災共済金の支払手続をとるまでもなく共済金を取得するに至らなかったこと、少なくともA1と放火の実行犯がA6宅の火災保険金目的による放火を共謀したことが明らかであるが、その経緯の中で、被告人の関与を窺わせる事実としては、
<1> 競売にかけられているA6宅の土地建物をあえて買い取ったうえ、自己名義ではなく知り合いのA7名義で所有権移転登記を得ていること(前提事実2・(一)ないし(四))
<2> 右の登記後間もなく、A7に対し、A6宅について全労済の火災共済に加入するよう指示したうえ、全労済から加入できないと言われたことを伝えられると、なおも他に加入できる方法を教え、結局、A7をしてA6宅につき火災共済に加入させ、その旨の報告を受けていること(前提事実2・(五))
<3> 右の保険加入から三か月足らずの後にA6宅が放火の被害に遭ったが、その後、警察から事情聴取を受けているA7に対し、被告人の名前を秘しておくよう指示し、また、A7から保険契約を失効させたことを聞いて同人を叱りつけたこと(前提事実5及び6)
が挙げられる。
これらの事実だけからしても、被告人は、火災保険金騙取目的でA6宅を取得し、放火事件の捜査が自己に及ばないようにするため、自己の意のままになるA7の名義で移転登記を得て火災保険に加入したうえ、自ら又は第三者を使ってA6宅に放火したのではないかと強く疑われるのであり、これに加えてA1が「被告人と組んでA6宅放火事件を敢行した。」旨供述していることを考え併せると、被告人の弁解に充分な合理性があると認められない限り、被告人は、A1と共謀してA6宅放火事件を敢行したものと推認することができる。
そこで、以下においては、A1の供述及び被告人の弁解を中心に検討を加えたうえ、A6宅放火の実行行為者の問題に関し、被告人のアリバイについても検討することとする。
三 A1供述の信用性
1 A1供述の一般的な信用性
A1は、「被告人と組んでA6宅放火事件を敢行した。」としたうえ、「放火の実行行為を行ったのは被告人である。」旨一貫して供述する(平成元年一月三一日付検面、同年二月六日付検面〔乙二八・二九〕、第一九回・第二一回公判等)。
右のA1供述は、具体的かつ詳細であり、捜査・公判を通じて重要な点に関する供述内容の変遷も特にみられない。しかしながら、A1の供述には、本件のような共犯による保険金目的の放火事件においては極めて重要な謀議内容と考えられる加入すべき保険の保険金額や入手した保険金の分配に関する謀議についての供述が欠落しているうえ、A1は、「被告人がA7に指示して全労済の火災保険に加入させていたという具体的な事実は、火災後、被告人から聞いて初めて知った。」とか、「被告人からA6宅の合鍵を作るよう指示された際、初めは断っていたが、被告人が怒りだしたので仕方なく作ってやることにした。」(平成元年一月三一日付検面〔乙二八〕、第二一回公判)などと供述して、A6宅放火事件についての自己の関与を消極的ないし従属的なものにすぎないかのように印象づけようとする態度が顕著である。これにA1がA8宅放火・詐欺事件に関し、被告人を犯行に巻き込むために虚偽の供述をした疑いが強いこと(前記第一・三)を併せると、A1の供述の信用性については、特に被告人の関与を窺わせる部分を含めて慎重に吟味する必要がある。
2 A1供述の個別の信用性
(一) 合鍵の交付
(1) A1は、概ね「昭和六二年四月下旬ころ、被告人から、A6宅の中が見たいので合鍵を作るようにと言われたが、被告人の放火の意図を察知し、A6に頼んで見せてもらえば済むと言ってこれを断ったところ、被告人が怒りだしたため、やむなくこれに応じることにした。A6が車の鍵と家の鍵を同じキーホルダーに付けていることを知っていたので、そのころ、A6が自家用車(日産ローレル)に乗ってd社の事務所に来た際に同車を借り出し、そのまま、青森市文化会館裏にある『h』に行って、A6宅の合鍵をA6に無断で作り、そのころ、この合鍵を被告人に渡した。」旨供述する(平成元年一月三一日付検面、同年二月六日付検面〔乙二八・二九〕、第二一回公判)。
(2) 検討
右のA1供述によると、A1は、A6宅放火のわずか二週間ほど前の四月下旬ころになって初めて被告人の放火の意図を察知したことになり、しかも、この時点でA6宅放火につき被告人との間で共謀が成立したとの供述もなく、その後の経過についてのA1の供述中にも、最後まで明示の共謀の事実は出てこない。
しかし、被告人の放火の意図を察知しながら、旧友であるA6に無断で同人宅の合鍵を作って被告人に渡すというのは、放火についての確定的な共謀を前提としてしか考え難い行為であり、その意味で右のA1供述は不自然・不合理なものというほかはなく、A1は、何らかの意図で一部真実を隠しているものと疑われる。
もっとも、このことから、A6宅の合鍵を作って被告人に渡したとの供述についてまでも虚偽であると断ずることはできない。
なぜなら、真実はA6宅放火事件に関与していない被告人に罪を被せるため、A1が事実を捏造して述べている可能性も一応は考えられるが、それよりも、自分が従属的立場にあったことを印象づけるため、A1が被告人との明示の共謀の事実のみを隠蔽して供述している可能性の方が高いものと考えられるからである。
即ち、関係各証拠によれば、A1には、A6方火災の前日から当日にかけてA6らを誘って花見をし自宅に宿泊させるという明白なアリバイ(前提事実4)があって、A1自身は放火の実行犯でないことは明らかであるが、そうすると、A1には無実の他人を巻き込んで実行犯の濡れ衣を着せる必要は特になく、また、証拠上、A1に共犯者がいることは確実であるが、虚偽の供述により被告人をその共犯者の身代わりに仕立てることに成功したとしても、A1自身の刑責にはそれほどの影響はなく、あえて虚偽の供述をしてまで無関係の被告人を罪に陥れるほどの動機があったとも考え難いからである。
なお、A1は、A6の使用するローレルから家の鍵を持ち出して合鍵を作った旨供述するが、関係各証拠によれば、当時、A6はローレルではなくスズキアルトを使用していたことが認められる。アルトとローレルとでは車格が全く違うから、これを間違えるというのは不自然ではあるが、A6宅の合鍵を作る動機と機会をともに有していたのはA1だけであることを考えれば、A1がA6の使用車両からA6宅の鍵を持ち出したこと自体には疑問を挟む余地はない。
(二) A6宅の間取りの教示
A1は、概ね「被告人にA6宅の合鍵を渡した日かその二日くらい後、青森市文化会館の喫茶店において、被告人からA6宅の間取りを教えるように言われ、店に備付けの紙ナプキンに間取りを書いて説明した。」旨供述する(平成元年二月六日付検面〔乙二九〕、第二一回公判)。
右の供述を裏付ける確たる証拠はないが、A6と親しく付き合っておりA6宅の様子を把握していると考えられるA1から、被告人が放火の準備として間取りを聞き出したというのは自然であり、供述内容自体にも特に問題は認められず、他に格別この供述を虚偽とする根拠もない。
(三) 被告人の指示による花見の勧誘
(1) A1は、概ね「被告人にA6宅の合鍵を渡したとき、あるいはそのころ、被告人から、A6とその家族を泊まりがけで花見に誘いA6宅を留守にさせるよう指示された。そこで、五月七日ころ、A6に電話し、今度の土曜日に焼肉でも食べながら花見をしないかと誘ったところ、A6は考えてみると言ったものの確答はしなかった。そこで、被告人に対し、A6を花見に誘ったこと及びA6が花見に来るとすれば土曜日であると思われることを伝えておいた。さらに、同月九日(土曜日)の昼過ぎころ、A6に電話してその日に家族で花見に来るとの確答を得、これを被告人に伝えた。」旨供述する(平成元年一月三一日付検面、同年二月六日付検面〔乙二八・二九〕、第二一回公判)。
(2) 検討
関係各証拠によれば、昭和六二年五月七日か八日ころ、A1がA6とその家族を花見に誘ったこと、花見の前日か当日、A6がこれを承諾したこと、同月九日の午後五時ころから七時ころまで、A1、A6とその家族、A6の勤務先の社長及びd社の従業員らが参加して、A1宅近くの運動公園で花見の宴会が行われ、焼肉を食べたりビールを飲んだりし、その後引き続きA1宅に場所を移して飲食し、A1とA6一家はそのままA1宅にとどまったことが認められる(前提事実4)。
したがって、被告人からA6一家を花見に誘うよう指示されたとする点、及び花見の予定につきA6の返答を被告人に連絡したとする点を除けば、A1の供述は右に認定した事実と符合しており信用できる。
そこで、右の除外した二点について検討する。
まず、被告人がA6一家を花見に誘うよう指示したとする点については、これを裏付けるに足る証拠はないものの、A1の供述は具体的であり、これが虚偽供述であるとする根拠も見出し難い。
次に、花見の予定につきA6の返答を被告人に連絡したとする点についてみるに、A1は、捜査・公判を通じ、A6一家が花見に来ることをいつどこで被告人に連絡したのかとか、被告人からの電話を受けて伝えたのかはっきりしないと供述している。しかし、本件のように自らは居住者の誘い出しだけを担当し、放火の実行は他の共犯者が行うというのであれば、実行の機会についての連絡は極めて重要な事柄であり、これについての明確な記憶がないというのは不自然とも考えられる。もっとも、A1が被告人を巻き込むため意識的に虚偽の供述をしているのであれば、かえって暖昧な供述などせず、当日被告人から連絡を受けて伝えたなどとむしろ明確に述べるのではないかとも考えられ、右の曖昧な供述は単なる記憶の減退を端的に示しているともとることができる。
そうすると、この点に関するA1の供述は、その信用性の有無を決し難いが、いずれにしろ、この供述が虚偽であるとまでは評価できない。
四 被告人の弁解の検討
1 A6宅を買い取った目的
被告人は、概ね「A6宅は競売物件であるが、これにヤクザが入居すれば競売による売却は困難となり、ずっと建物を使用することができる。また、どうしても立ち退かなければならなくなっても立退料を手に入れることができる。」旨弁解する(平成元年二月七日付検面〔乙八三〕、第七一回公判)。
しかしながら、前提事実及び関係各証拠によれば、被告人は、昭和六二年二月ころ、A6宅の土地建物を買い取り、代金も支払いながら、明渡期限も特に定めずに元の所有者であるA6に火災に遭うまでそのまま約三か月も居住させているうえ、そもそも土地建物の名義をいわゆるヤクザではないA7の名義にし、同人にもその使用を約束していることが認められるのであって、このような事実に照らすと、被告人は、将来にわたってA6宅にいわゆるヤクザの看板を出す意思などなかったものと考えられるのであり、ヤクザが占有していることを示すことによって利を得ようとしたとの被告人の弁解は到底信用できない。
2 A7名義でA6宅を取得しその旨の登記をした理由
被告人は、一貫して「自分の名前を出したくなかったからである。」とし、名前を出したくないとする理由については、「借金があったから。」とか、「自分はヤクザだから。」とか、「親分よりも多くの財産を持つわけにはいかないから。」などと弁解する(平成元年二月二日付員面〔乙八一〕、同月七日付検面〔乙八三〕、第六七回公判)。
しかし、「借金があるために名前を出したくない。」というのは、通常は自分名義の財産があると債権者に差し押さえられるのでそれを避けたいという趣旨に受けとれるが、関係各証拠によれば、名義人となったA7は、昭和六一年春ころ、取引先が倒産した影響で約四〇〇万円の損害を受けて資金繰りに窮し、そのころから、被告人から手形割引で何度も借金をしていたのであり、A6宅放火当時の昭和六二年五月ころには、手形の不渡りを二回出して銀行取引停止処分を受けていることが認められるのであって、A7の名義にしても債権者の差押えを免れることができるといった状況にはなかったことが明らかである。しかも、そもそもA6宅の土地建物は概ね昭和六一年九月に競売にかけられており、このような物件をその後被告人が取得したとしても、これを被告人の債権者がさらに差し押さえるということも事実上あり得ないと考えられるのであるから、A7名義とした理由を借金があるためとする被告人の弁解は到底理解し難い。
また、「自分はヤクザだから名前を出したくない。」というのは、それだけでは趣旨が不明であるうえ、右1の弁解において、ヤクザであることを利用して利を得ようとしたと述べるところと矛盾することになり、さらに、「親分よりも多くの財産を持つわけにはいかないから。」というに至っては、こじつけと断ずるほかはない。
3 A7をしてA6宅につき火災保険に加入させた理由
被告人は、「もしA6宅が火事になったら、A6名義で火災保険に入っていても自分が火災保険金を受領できないので、自分が実質的な所有者になった以上、万一火事になったときに自分が火災保険金を取得できるように火災保険に加入しておこうと思った。」とか、「もし、A6宅が火事になったら、建物の解体や後片付けの費用などが必要なので、これに備えて火災保険に加入した。」などと弁解する(平成元年二月七日付検面〔乙八三〕、第六七回・第七一回公判)。
被告人の右弁解は、一般的な火災保険の必要性を述べるものに過ぎず、わずか六〇万円ないし八〇万円で買い受けたうえ他人に住まわせることにした、しかも既に競売にかかっている家屋にわざわざ保険をかける理由、また、全労済に問い合わせたA7から保険に加入できないと言われてまともには加入できないと知りながら、なおも他の加入方法をA7に教えて無理矢理加入させている理由、さらには、仮に火災が発生すれば、あえて競売物件を取得して火災保険をかけるような者がまず初めに放火犯人と疑われることになるが、そのような危険を冒してまで保険加入にこだわった理由などについては、いずれもこれを説明し得るものではなく、本件に即した合理的な弁解とは到底いえない。
4 警察から事情聴取を受けているA7に対し、被告人の名前を伏せるよう指示した理由
被告人は、概ね「自分はヤクザであり、A6宅が本当は自分のものなのにA7名義に登記していたことが分かると、A6宅の火事は自分が放火したのではないかと疑われると思ったからである。」旨弁解する(平成元年二月七日付検面〔乙八三〕。なお、公判においては、A7に対する口止めを否定した。)。
この弁解自体は一応合理的ではあるが、A6宅放火事件についての被告人の関与に対する疑いを晴らすものでないことはいうまでもない。
五 被告人のアリバイの検討
1 被告人は、捜査段階においては、A6宅放火のあった昭和六二年五月一〇日午前一時ころには自分がどこにいたのか記憶していないと供述していた(平成元年二月七日付検面〔乙八三〕等)が、公判において、その当時の被告人の行動を示す証拠を提示されてからは、概ね「五月九日の午前中、盛岡地方裁判所に行って強制執行の申立てを行い、同日午後は、まず依頼されていた債権の取立先であるA44の居所を盛岡市内で捜し、その後A44が岩手県水沢市にいることが分かったので、翌日A44のところに行くことにし、その足でビールを持って強制執行の相手方であるA30のところ(岩手県紫波郡)に行き、同月一二日に強制執行を行うと伝え、皆でビールを飲んだ。そして、翌一〇日は、A10と被告人の配下の者であるA45と一緒に水沢市のA44のところに行った。したがって、A6宅放火のあった五月一〇日午前一時ころには盛岡にいた。」旨弁解している(第七一回・第七三回・第九九回公判)。
2 検討
関係各証拠によれば、被告人は昭和六二年二月ころから盛岡市に移り住み喫茶店などを経営していたこと、その後も青森市など青森県内には比較的頻繁に自らの運転する自動車で訪れていたこと、盛岡市からA6宅のある弘前市までは、高速道路を使えば片道二時間程度で行けること、放火の前日である五月九日の午前中には被告人が自ら盛岡地方裁判所に赴いて強制執行の申立てをしていること、以上の事実が認められる。
右の事実によると、被告人は、事件当時、盛岡市内に居住し、事件前日の五月九日にも、日中のある時点までは盛岡市内にいたものと認定することができるが、同時に、概ね五時間程度の時間があれば盛岡市内にいる者が弘前市内のA6宅に放火して盛岡に舞い戻ることができることから、A6宅放火の日時である五月一〇日午前一時ころを基準にすると、五月九日午後一〇時三〇分ころ盛岡を出発し、翌一〇日午前三時三〇分ころまでには盛岡に帰って来ることができると考えられる。
一方、被告人は、五月九日には、岩手県紫波郡のA30のところへ行きビールを飲んだとするが、その時間帯については明確な供述がなく、また、翌五月一〇日には水沢市に出かけたとするが、出発時刻は不明である。
そうすると、被告人の供述によっても、五月九日午後一〇時三〇分ころから翌一〇日午前三時三〇分ころまでの間の被告人の行動については裏付けがないことになり、他に右の時間帯における被告人の行動を証明し得る証拠もない。
したがって、被告人には、放火の犯行時刻には弘前市内にいなかった、あるいはいたはずがないとのアリバイは成立しない。
六 結論
以上に検討したとおり、被告人の弁解はそのほとんどが合理性を否定されるうえ、前提事実で認定したとおりの経緯とその間の被告人の行動に鑑みると、被告人は火災保険金目的によるA6宅放火事件を仕組んだ犯人であることが極めて強く疑われ、また前記三で検討したとおり、A1の供述は全般にわたって信用性が充分とはいえないものの、右の疑いを一層強める証拠となるというべきで、これらを総合すると、被告人はA1と共謀してA6宅放火事件を敢行したものと認定することができる。
そして、A6宅放火事件では、被告人とA1以外に共犯者がいることを窺わせる証拠がないこと(なお、A7は意識的に保険契約を失効させていることなどからして、共犯者とは認められない。)から、被告人とA1の二名による犯行と認められ、また、事件当時の行動についてA1には確固としたアリバイがあるが、被告人にはアリバイが成立しないことを併せ考えると、A6宅放火の実行犯は被告人であると認定することができる。
第四 A3殺害事件について
一 前提事実
以下の各事実は、関係各証拠により容易に認定することができる。
1 死体遺棄現場及び死体の状況等
(一) A3の死体の発見
昭和六三年八月二日午後、青森市<以下省略>所在のi株式会社管理にかかる産業廃棄物最終処分場(以下、「最終処分場」という。)において、作業に従事していた同社の従業員入谷誠吉が、同処分場内の処理穴をバックホーを使って掘り返していた際、バックホーのバケットに入って出てきたA3の死体を発見した。入谷は、バケットで右死体の左胸部の辺りを二、三回押して様子を見たうえ、不審物の発見を同僚に連絡し、右同僚が警察に通報した。
なお、i株式会社では、帆立貝の加工で生じる貝殻、中腸腺及び外套膜を工場から最終処分場に運び、同所に掘削された処理穴に投棄しているもので、処理穴付近は貝殻などが散乱している状況にある。
(二) 死体の状況等
同日午後四時三〇分ころから司法警察員らによる現場等の実況見分が実施されたが、A3の死体は、あごを突き出すように上体がのけ反り、両腕は左右に開き、両手は指先を内側に曲げた鷲手の状態で、両下肢は大の字状に開き、両膝をやや曲げた状態にあった。また、処理穴の中からA3の右足の白色カジュアルシューズが発見された。
その翌日、A3の死体を解剖した結果、A3の死体は、身長約一六八センチメートル、体重五五・三キログラムで、全身が比較的高度に腐敗しており、外傷及びその痕跡、頭皮下出血、頭蓋骨骨折は認められず、頚内部にも損傷及びその痕跡は認められなかった。もっとも、左第四肋骨から第一〇肋骨にかけて約一三個の完全・不完全骨折が認められたが、その骨折は、左側胸部に対する表面の比較的平滑な鈍体の衝突的作用により形成されたものと推定され、また、それが致死的な影響を与えたとは考え難く、死亡後に生じた可能性もあると判断された。
結局、A3の死因は、特定されなかったものの、その死体の状況からみて、強力な外力作用により脳を始めとする諸臓器の直接的損壊による死亡、溺水による窒息死、薬物服用による中毒死の可能性はいずれも低く、死因となった外力作用は、腐敗性変化により隠蔽される程度のものと考えられた。
また、死後経過時間については、解剖時点までに一ないし二週間、最後の食事摂取後死亡までの時間は、胃の内容物(イカ片、菊花弁、ホヤ、ワカメ、小豆粒など三七五グラム)の消化程度から、最大で三時間程度と推定された。
さらに、A3の死体からは、胃内容物一グラム中、一・〇五ミリグラム、胸腔内血液一ミリリットル中、三・〇一ミリグラムのアルコール分が検出された。
2 その他の客観的証拠
A3が殺害された当時に被告人が使用していた茶色のトヨタクラウン(青○○ま○○○○号。以下、「クラウン」という。)の車底部の四か所から、貝類外套膜の一部と考えられる組織片様物が採取された。
また、クラウンの助手席シートには、A3の血液型(O型)と一致する人尿が付着しており、右人尿から催眠・鎮静剤トリアゾラム(ハルシオン)のヒト尿中主代謝物である1―ヒドロキシメチルトリアゾラムが検出された。
なお、ハルシオンは常用量での催眠作用が強く、一錠(〇・二五ミリグラム)で約四時間の催眠効果がある。
3 A3殺害に至る経緯
(一) A1宅放火
A1は、d社の経営に行き詰まり、同社を再建するため、火災保険金の騙取しようと企て、青森市<以下省略>所在の自宅建物に総額五〇〇〇万円を超える火災保険を損保会社等に次々とかけたうえ、昭和六二年一一月三〇日午前一時二七分ころ、自ら又はその共犯者において自宅に放火しこれを焼燬した(以上の事実は、昭和六二年当時のd社の経営状態、火災保険の加入状況、火災当日に都合よく家族旅行に出かけるなどのA1の不審な行動、A1らによる保険金目的のA8宅、A2宅、A6宅各放火事件の連続敢行、捜査段階におけるA1宅放火についてのA1の自白などの各事実及び証拠によって認定することができる。)。
A1は、翌日、火災保険加入先の一つである安田火災海上保険株式会社(以下、「安田火災」という。)にA1宅の火災を報告し、その後保険金請求の手続をとったが保険金はなかなか支払われず、昭和六三年二月には自宅の新築を知り合いの大工のA31に頼んだものの前渡し費用も工面できなかったため、同年四月ころ、被告人に保険金の取得方について相談した。
そこで、被告人は、成功した場合には報酬を貰う約束で、A31がA1に債権を有するとの内容の公正証書を作成し、これを債務名義としてA1の安田火災に対する火災保険金請求権を差し押さえるなどして安田火災に圧力をかけた。
その後の同年五月二八日、安田火災等四社から、A1宅の火災保険金として総額約二五〇〇万円が支払われたが、A1は、右火災保険金を自宅の新築費用や経営が悪化していたd社の資金繰りなどに充て、被告人には約束した報酬を支払わなかった。
(二) 放火に関するA3の放言等
一方、A3は、昭和六二年一〇月ころ、知り合いのA32(以下、「A32」という。)に対し、放火して保険金を取るのに手頃な家はないかと尋ねたり、また、A1宅の火災後には、仲間うちのA33やA32、さらに知り合いのA34らに対しても、A1宅の火災はA1が火をつけたものだなどと吹聴するようになった。
このため、昭和六三年四月ころ、知人からd社に対する自動車代金の取立を依頼されたA32がd社の事務所を訪れ、大声で「火つけの社長を呼んでくれ。」などと言って嫌がらせをし、困惑したA1から自動車代金を取り立てるなどという事態も生じたが、その際、A1は、A32から、A3がA1宅の火災はA1の放火によるものだと吹聴していることを知らされた。
また、A1は、昭和六一年ころからそのころまでに、A3から様々な理由をつけては金を要求され、総額三〇〇万円以上の金を渡していたが、さらにA3が「A1を脅すネタはいくらでもある。A1の女房の退職金も取ってやる。」などとうそぶいているのを伝え聞いていた。
このため、A1は、このままではいつまでのA3から金をゆすり取られ続けるうえ、A1宅放火を含めA1の関係した保険金目的による放火事件も捜査機関に発覚してしまうのではないかとの危機感を抱き、次第にA3を殺害しなければならないと考えるようになった。
(三) A3殺害の計画
(1) 昭和六三年五月末ころ、被告人は、A1がA1宅火災による保険金の支払を受けたことを知ったが、A1から約束の報酬が支払われないことから、これをA3に話したところ、A3は、自分もA1に貸しがあるなどと言い、結局、A3がA1に「放火の件で警察に呼ばれている。」などと脅してこれを口実に金を要求することになった。
(2) 同年七月上旬ころ、A3は、A1に対し、「自分のところに刑事が来て放火の件で事情を聞きたいと言ってきた。青森にいない方がいいと思うので東京の方に行く。その前に湯治に行こうと思っている。」などと話し、暗に金を要求した。
(3) このころ、A1は、被告人に対し、A3の殺害を持ちかけた。
(4) また、A1は、同じころ、j組系暴力団k組組員のA35(以下、「A35」という。)に対し、五〇〇万円の報酬でけん銃を入手して人を一人殺して欲しいと依頼した。
(5) 同月七日ころ、A1と被告人が青森市内の喫茶店で会い、A1がA3の殺害をA35に依頼したことを告げたところ、被告人は、「A35に頼むと相手はヤクザだからこれをネタに必ず金を要求してくる。」などと言ってA35に依頼することに反対した。
しかし、A1はこれを聞き入れなかった。
(6) 被告人は、その後、A3と会い、「A1がk組の若い衆とこそこそしている。ヤバイな。やめた方がいい。」などと忠告したが、A3はとりあわず、A1から金を脅し取るのをやめようとしなかった。
(7) 同月八日、被告人は、A1を呼び出し、A35にA3の殺害を依頼するのをやめるように説得した。
なお、被告人は、このときのA1との会話をカセットテープで録音している。
(8) ところで、A1は、知人のA36(以下、「A36」という。)が、以前、勤務先のi株式会社の最終処分場に「人でも殺して埋めれば絶対に分からない。」などと自慢げに言っていたことを想起し、A3を殺害した場合には同所に死体を捨て犯跡を隠蔽しようと考え、同月九日、A36の案内で最終処分場に赴き処理穴やタイヤショベルの操作方法などについて説明を受けた。
(9) その後、A1は、A35を最終処分場に連れて行き、同所に死体を遺棄すれば発覚しないなどと説明したが、その数日後、殺人の報酬としては一〇〇万円くらいしか用意できないなどと言い出したため、A35から殺人の依頼を断られてしまった。
(10) 同月一五日、A1は、弘前市内の喫茶店でA3に一二万円を渡したが、A3が不満気であったため、後日さらに金を渡すことを約束してA3と別れた。
(11) その後、A3は、内妻のA23やA33一家とともに同月一七日から青森県南津軽郡の碇ケ関簡易保険保養センターに出かけた。
A33一家は翌一八日に青森に帰り、A23も同月二〇日に青森に帰ったが、A3は、A1が同月二一日ころ保養センターに金を持って来ることになったため、結局同月二二日まで保養センターに滞在した。
(12) 被告人は、同月一八日に東京から青森に戻ったが、その後、何度か右保養センターに赴いてA3と会い、A1は相当怖がっているなどとA1の様子を伝えた。
他方で、被告人は、そのころ、A1とも頻繁に会い、A3が保養センターでA33一家と遊んでいるなどと教えた。
このため、A1は、A3に金を渡す気を失い、そのころ、A3に対し、二一日は都合が悪いので二三日に連絡する旨伝えた。
(13) 同月二三日、A1は、A3に対し、翌日の昼ころ再度連絡する旨電話で伝えた。
(14) そのころ、被告人は、A1と二人で最終処分場を見に行った。
また、A1は、A36に対し、「最終処分場に埋めるものがあるので貝殻を被せて欲しい。そのときは電話する。」と依頼して、A36の承諾を得た。
なお、A36は、A1は盗品でも捨てるつもりだろうと考えていた。
(四) その他のA1らの行動
(1) 被告人とA1は、同年六月ころから七月ころにかけて、他人名義による自動車の販売を仮装して架空のローン契約を締結し金を得ようと計画していた。
そして、A1は、前記(三)・(7)記載の機会に、被告人と右計画を実行に移すことを話し合い、七月一二日、青森市内の三楽病院に被告人の知人であるA37(以下、「A37」という。)を訪ねて同人の名義を使うことの承諾を得、同月一三日、同人の住所変更手続を行って印鑑証明書等を手に入れたうえ、同月一六日から一八日にかけて、d社がA37に自動車を販売しその代金についてローン契約を締結したかのように仮装するなどの方法によって、同月二〇日から二九日までの間に約三〇〇万円を手に入れた。
(2) A1は、「f社」のA28から一〇〇万円を借り、同月一八日、盛岡信用金庫青山支店の被告人名義の預金口座に一〇〇万円を振込送金した。
被告人は、このころ、A10と二人で日用雑貨品の仕入れのため東京に行っており、同月一八日、東京で右一〇〇万円を右口座から引き出し、日用雑貨品の仕入代金に充てた。
4 A3殺害当日の被告人とA1らの行動等
(一) 昭和六三年七月二四日(日曜日)の昼ころ、A1は、自宅に立ち寄ったA36に対し、A36がその日の仕事を終えた後サウナに行くことを確認したうえ、「もしかすると、晩にサウナに電話するかもしれない。」と言った。
(二) 午後三時ころ、A1は、A3に電話し、午後四時ころにcアパートに行くと告げ、被告人にも、青森市A2町二丁目一番一号所在の第百生命ビル一階の喫茶店「アルプス」(以下、「アルプス」という。)に午後四時ころ来るように電話で伝えた。
(三) 午後四時ころ、A1はcアパート前でA3を自分の軽自動車に同乗させ「アルプス」に赴いたが、両名が店に着いたときには被告人は既に来店しており、三人はそれぞれ飲み物を注文して一時間余にわたって話をした。
その後、A1は、被告人とA3を残して先に「アルプス」を出たが、しばらくして「アルプス」に電話して被告人を呼び出し、A3を連れてA1の馴染みの店である青森市<以下省略>所在の青森県市町村職員共済組合共済会館地下一階の飲食店「京さい」(以下、「京さい」という。)に来るよう指示した。
(四) A1は、軽自動車を運転して「京さい」に行き、被告人はクラウンにA3を同乗させて「京さい」に赴いた。
なお、A1は、通常「京さい」に来店した際に自動車の鍵を店に預けていたが、この日は預けず、被告人も預けなかった。
そして、ビールとイカ刺しや盛り刺しを注文し、午後六時ないし七時ころからおよそ二時間ほど飲食したが、その間、A3は二回ほどトイレに立ち、また、店を出る三〇分くらい前には、A1がビール二本を追加注文してその際に会計を済ませた。
店を出るにあたっては、まず、A1がA3を抱き抱えるようにして会館用の出入口から出、その五、六分後、被告人がいったん店の出入口(裏口)から出ようとした後戻ってきて会館用の出入口から出て行った。
A3はかなり酔った様子であったが、A1と被告人はほとんど酔っていないようであった。
(五) 被告人が店を出た後程なくして、A1が「京さい」に電話をかけてきて、対応に出た従業員のA38に対し、「A1ですけど、もう一人のお客さんは帰りましたか。」と尋ね、A38が帰ったと答えると、A1は、「そうか。」と言って電話を切った。
(六) その後、A1から再度「京さい」に電話があり、A1は、対応に出た従業員のA39に対し、「会計払っただろうか。自分に誰かから連絡はなかったか。」などと尋ね、A39が電話などはきていないと答えると、A1は、「それならいい。」と言って電話を切った。
(七) 一方、A1は、同日午後九時二〇分ころから一〇時ころまでの間に、A36のいきつけのサウナ「山水」に電話を一回かけたが、A36は既に帰ってしまっており、連絡がつかなかった。
(八) また、そのころ、A1は、青森市<以下省略>所在のlアパート七号室の被告人の自宅(以下、「lアパート」という。なお、被告人は、昭和六二年一二月末ころ、盛岡から転居していた。)に電話をかけ、対応した被告人の内妻A10に対し、被告人と連絡をつけてくれるよう依頼した。
そこで、A10は、ポケットベルで被告人を呼び出してこれを伝えた。
その後しばらくして被告人が帰宅し、A1に電話をかけてA1宅に行くことになり、被告人は、A10の運転する軽自動車でA1宅付近まで行ってA1と落ち合い、A10を家に帰した。
(九) A3は、「京さい」を出た後、遅くとも翌二五日未明までの間に、何者かの手によって殺害され、また、その死体は、何者かの手によって最終処分場の処理穴に投げ捨てられたうえ、死体の発見を困難ならしめるため。最終処分場内に山積みされていた貝殻がタイヤショベルを使って右処理穴に落とし込まれた。
5 その後の経過
(一) A1は、同年七月二六日、前記空ローンにより入手した金のうち、一〇〇万円をA10を通じて被告人に渡した。
(二) 同年八月二日、前記1・(一)記載のとおり、A3の死体が発見され、同月七日、A1は、A3に対する殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕された。
被告人は、同日、東京方面に逃走したが、同月一九日、A3に対する死体遺棄の容疑で逮捕された。
二 争点
1 関係各証拠を総覧すると、A3は、昭和六三年七月二四日から二五日にかけての夜、A1及び被告人と「京さい」で飲食した後、何者かの手によって殺害されたうえ、青森市郊外の合子沢の最終処分場の貝捨場の処理穴に投棄されるなどして遺棄されたものであること、そして、A1が少なくとも共謀共同正犯としてこれに関与していることが明らかであるところ、A1と被告人は、本件について、概ね以下のとおりの供述をしている。
(一) A1は、「A3の口を封じるため、A3の殺害を被告人と計画した。被告人は殺し屋を東京から連れて来ると言っていた。自分の役目はA3を誘い出すことであり、犯行当日、『京さい』までは被告人、A3と一緒だったが、その後、A3の殺害を被告人に任せ、自分は一人で自宅に帰った。その後、被告人から『今終わった。これから山に向かう。』との連絡を受け、一度は自分一人で、二度目は被告人と一緒に最終処分場に行き、処理穴に貝殻をかけた。」旨供述する。
(二) 一方、被告人は、操作段階の初期及び公判段階において、「昭和六三年六月ころ、A1からA3殺害の話を持ちかけられたことはある。しかし、自分にはA3を殺す動機はなく、A1と共謀したことはない。当日は、『アルプス』でA3、A1と会い、その後『京さい』に行って酒を飲み、さらにA1の事務所で飲むこととなって『京さい』を出たが、途中で飲む気がなくなり、市役所の前でA3を降ろしてA1の軽自動車に乗せ、そこでA1らと別れた。」旨弁解し(以下、「被告人の弁解」という。)、A3の殺害と死体遺棄についての自己の関与を否定する。
(三) なお、被告人は、捜査段階ではいったん自白しており、「放火のことを公然と言い触らすA3の口を封じるため、A1と相談して殺すことにした。当日夜、三人で『京さい』を出た後、クラウンで最終処分場の近くまで行き、そこでA1がベルトでA3の首を絞め、自分はA3の体を押さえ、二人がかりで殺した。その後A3の死体を処理穴に捨て、貝殻を被せた。」旨供述していた(以下、「被告人の自白」という。)。
2 A3殺害事件について、検察官は、右のA1供述を立証の柱として、被告人とA1が共謀のうえ、殺害の実行行為自体は被告人が単独で敢行したものとして事件を構成する(なお、被告人とA1の二人で殺害を実行したとする被告人の自白については、これを虚偽と評価している。)が、これに対し、弁護人は、被告人の自白の任意性・信用性を争ったうえ、被告人の弁解に依拠して、被告人は無罪である旨主張する。
そこで、以下においては、まずA1供述の信用性について検討し、その後、被告人の自白の任意性・信用性と被告人の弁解について順次検討したうえ、最後に、関係各証拠によって認定できる情況事実等を踏まえ、本件の訴因について、被告人を有罪と認め得るか否かについて考察することとする(なお、以下に適示する年月日については、特段記載しない限り、昭和六三年のことである。)。
三 A1供述の信用性
1 A3殺害の動機と発意及び共謀の成立について
(一) A1の供述要旨
A1は、概ね「A3は、二月ころから、自分や被告人が関係している保険金目的の放火事件のことを半ば公然と言い触らすようになった。六月ころ、被告人からA3の殺害を持ちかけられ、自分もその気になった。被告人は、A3をこのまま放置しておけば、被告人が関係した一連の事件が発覚して警察に捕まってしまうと危惧し、A3の口を封じるためその殺害を決意したのである。なお、被告人は、A8宅放火の件を一番心配していた。」旨供述する(昭和六三年九月一八日付検面、平成元年三月一日付検面〔乙三・三〇〕、第二三回公判等)。
(二) 検討
A3がいかにも火災保険金を得るために放火するようなことを言ったり、A1から金をせびり取るためA1宅火災がA1自身による放火であると吹聴していたこと、また、被告人がA1宅火災に関してA1に保険金の支払を受けさせるために画策していたことは、前提事実3・(一)及び(二)のとおりであり、しかも、被告人がA2宅放火・詐欺事件及びA6宅放火事件の共犯者と認められること、また、A3もA8宅放火・詐欺事件及びA2宅放火・詐欺事件の共犯者と認められることは前記第一ないし第三で判断したとおりである。
そうすると、A3の吹聴をそのまま放置しておけば、噂が広がって捜査機関がA3を追及する事態が生じ、A3の口からA1宅放火やA2宅放火ひいてはA6宅放火にも被告人が関係していたことが発覚する可能性は充分考えられたのであって、これを(A8宅の件は別として)被告人が危惧したとのA1供述は、客観的事実に符合する。
しかしながら、まず、そもそもA3殺害の話が被告人から持ち出されたとの点については、重大な疑問を抱かざるを得ない。即ち、右のとおり、A3を殺害して口を封じる必要性は、A1と被告人の双方にあったとはいえ、A1にとっては、自宅の火災まで放火であること(前提事実3・(一))は絶対に知られてはならないことであったことのほか、債権の取立てに来たA32の件やA3から重ねて金をゆすられていたこと(同3・(二))、さらには、A1が先走って第三者であるA35に殺害を依頼して被告人に反対されていること(同3・(三)・(4)ないし(7))などの事情に照らすと、A1の方が被告人に比して格段に強くA3の口を封じる必要性を感じていたはずであるからである。
また、そのために被告人がA3の殺害を決意したとする点については、被告人がA3の養子であること(前記第一・一・1・(1))や、自らもA3と組んでA1から金を出させようとしていたこと(前提事実3・(三)・(1))などからすると、A3殺害の話が持ち上がるまでは、被告人にとっては、強く諭したりするなどの方法によってもA3の口を封じることができたのではないか、即ち、被告人においてA3を殺害するまでの必要性を必ずしも強く感じてはいなかったのではないかとも考えられないわけではない。
なお、A3殺害の動機とされるA1と被告人らが関与した放火事件のうち、特にA1宅放火については、前提事実3・(一)で認定したとおり、A1が保険金目的で敢行した放火であることが認められるが、A1は、捜査段階ではいったん自己の関与を認めながら、この事件での起訴を免れた公判においてはこれを変更して自己の関与を否定するに至っている点も看過することができない(A1が自宅の放火を頑に否定する理由は、その一つとしてこれにより支払われた保険金で建て替えた自宅を失うのを回避することにあるものと推察するに難くない。)。
ちなみに、A1は、被告人が一番気にしていたのはA8宅放火であると供述するが、前記第一で認定・判断したとおり、被告人がA8宅放火・詐欺事件に関与したと認めるに足りる証拠はない。
2 A3殺害計画の進展について
(一) A35への依頼
(1) A1の供述要旨
A1は、概ね「睡眠薬やけん銃を使って殺す話などが出たが、お互いに自分の手で殺害することを嫌がり、殺し屋に依頼する話などもしていた。被告人がけん銃を手に入れることにこだわっていたので、六月末ころ、自分が被告人に相談せずに、知り合いの暴力団組員であるA35に、一〇〇万円でけん銃を手配するように頼んだ。七月初めころ、被告人と喫茶店で会った際、A35からけん銃が入手できたとの連絡を受けてこれを被告人に伝えたところ、被告人は、第三者であるA35に計画を漏らしたことに激怒し、この計画から降りると言って喫茶店から出て行ってしまった。A3殺害計画もこれで終わりだと思い、その二、三日後、A35にけん銃の手配を断った。」旨供述する(昭和六三年九月一八日付検面〔乙三〕、第二三回・第七八回公判)。
(2) 検討
まず、A35の供述(昭和六三年九月七日付検面〔甲五八〕)によれば、A1がA35に依頼したのは、A1が述べるように単なるけん銃の入手ではなく、殺人であったことが明らかであり、しかも、A35に対する依頼の結末は、A1が断ったのではなく、A1の示した殺人の報酬額について当初五〇〇万円であったのが、その後一〇〇万円しか用意できないと言われたのを不満とするA35の方が断ってきたものと認められる(前提事実3・(三)・(4)及び(9)。事柄の性質上、A35が記憶違いをしているとは考えられず、また、A35にとっては自己に不利益な供述でもあることからして、A35供述の信用性は高い。)のであって、そうすると、A1の右供述中、この点に関する部分は事実に反しており、信用できない。
(二) その他の共謀関係
(1) A1の供述要旨
A1は、概ね「A35に断った後、被告人から『このままにはしておけないから、もう一回考え直そう。』という電話があり、七月一〇日ころ、再度被告人と話し合ったところ、やはりA3を殺害することになり、被告人が東京に日用雑貨品を仕入れに行く際にけん銃と殺し屋を手配することになった。同月一六日、被告人と喫茶店で会ったところ、『明日東京へ行ってけん銃と人の手配をしてくる。一〇〇万円ずつ用意しよう。連絡するから送金してくれ。』と言われ、さらに、同月一八日午前中、被告人から、先方と連絡がとれたので金を送れとの電話があり、指定された口座に一〇〇万円を送金した。」旨供述する(第二三回・第七八回公判)。
(2) 検討
まず、七月一〇日以降のA1と被告人との話合いについては、A1は、捜査段階において(昭和六三年九月一九日付検面〔乙四〕)、被告人はA3殺害を殺し屋に依頼するために東京に行ったと供述していたのに、第二三回公判においては、被告人はけん銃を入手するために東京に行ったと供述を変え、その食い違いを指摘されるや、けん銃を手配する話と殺し屋に殺害を依頼する話は同じことであると供述するに至るなど、その供述には看過し得ない不自然な変遷が認められる(なお、以上のような話合いは被告人とA1との二人だけでなされたものであって、これを裏付ける証拠はない。)。
また、A3を殺害するための準備金を被告人に要求された送金したとの供述を検討するに、関係各証拠によれば、A1が七月一八日に被告人名義の銀行口座に一〇〇万円を送金していることが認められる(前提事実3・(四)・(2))。これについて、被告人は、右一〇〇万円はA1宅火災の保険金入手のための手続に協力したことに対する報酬として受け取ったものである旨弁解しているところ、被告人が右一〇〇万円を殺し屋に対する殺害の依頼やけん銃の入手のために使ったことを裏付ける証拠は全くなく(なお、関係証拠上、本件でのA3殺害の実行行為において、A1と被告人以外の第三者がこれに関与した可能性はない。)、かえって、関係各証拠によれば、被告人がこのとき東京で日用雑貨品の買い付けをしていることが認められ、また、前提事実3・(一)のとおり、A1は自宅の火災に関し、被告人に報酬を約束して保険金を入手するための手続を依頼したが、五月下旬には保険金を受領しながら、その後も右の報酬を支払っていなかったとの事実関係からすると、右一〇〇万円の送金の趣旨については、被告人の右の弁解を一概に排斥することはできず、結局、この点もA1供述の裏付けとはなり得ない。
3 犯行当日のA1と被告人の行動について
(一) A1の供述要旨(昭和六三年九月七日付員面、同月一九日付検面〔甲四七三・乙四〕)
<1> 計画では、A3の殺害は被告人が東京から連れて来る殺し屋に頼むことになっていて、自分の役目はA3を誘い出すことと、被告人がA3の死体を最終処分場の処理穴に投棄した後、処理穴に貝殻をかけるようにA36に連絡することだった。
犯行当日、「京さい」までは被告人、A3と一緒だったが、そこでA3を被告人に任せ、午後八時ころ、「京さい」を一足先に出て自宅に帰った(もっとも、「京さい」を出るあたりからの記憶が曖昧で、その後「京さい」に電話した記憶もない。)。
<2> 帰宅後二〇分ないし三〇分たってから、被告人から「今終わった。これから捨てに行く。」との電話があり、すぐに自分も車で最終処分場に向かい、途中、被告人のクラウンとすれ違ったが、被告人は自分の車に気づかなかったので、そのまま最終処分場に行き、タイヤショベルを操作して処理穴に貝殻をかけた。
<3> その後、自宅に戻り、午前九時三〇分ころ、さらに貝殻をかけてもらうためA36に連絡しようとしたが連絡がとれず、あわてて被告人にその旨電話で伝えたところ、二人で最終処分場に行くことになり、その後、A10に送られて自宅前に来た被告人と一緒に自分の軽自動車で最終処分場に行き、貝殻を集めて処理穴にかけ、その後、被告人をlアパートまで送ってから自宅に帰った。
(二) 検討
(1) <1>の供述について
まず、被告人とA1が「京さい」を出る際の状況については、「京さい」の従業員であるA38及びA39がこれを見ており、A38(昭和六三年八月九日付員面、同月一六日付検面〔甲四四八・七五二〕、第七五回公判)及びA39(昭和六三年八月一六日付検面〔甲七五三〕、第八九回公判)の各供述によれば、前提事実4・(四)のとおり、まず、A1がA3を抱き抱えるようにして出て行き、その後少し遅れて被告人に出て行ったことが認められるのであって、これに対してA1が「A3を被告人に任せて一足先に『京さい』を出た。」とする供述は事実に反している。
なお、A1は、午後八時ころに「京さい」を出て自宅に帰ったと供述するが、当裁判所による検証の結果によれば、「京さい」からA1宅までは自動車で一六分程度であり、右供述が真実であれば、午後八時一六分ころ以降、A1は自宅にいたことになる。しかし、A1の隣人であるA34(昭和六三年九月五日付員面、同月一四日付員面、同月六日付検面〔甲四六ないし四八〕)及びその知人のA40(昭和六三年八月一五日付員面、同月一八日付員面、同年九月一四日付員面〔甲四九ないし五一〕)の各供述によれば、両名は、「競落されたA34宅の買取りの件でA1と相談するため、七月二四日の午後六時三〇分ころから九時三〇分ころまでの間、二人でA34宅にいてA1の帰りを待っていたが、その間四回にわたりA1宅に電話したものの応答がなく、A40が帰る際に二人で戸外に出たところ、A1宅の電灯はついていなかった。」旨それぞれ供述しているのであって、右両供述によれば、A1が午後九時三〇分ころまで自宅に帰っていなかったことは明らかである。
また、前記A38及びA39の両供述によれば、前提事実4・(五)及び(六)のとおり、A1が「京さい」に二度にわたって電話をかけたことが明らかである(A39によれば、これまでのA1の電話は全て席の予約に関するもので、それ以外の内容の電話がA1からあったのは当夜が初めてであったというのであり、また、A38によれば、A1は普段は酔う方なのにこの日はほとんど酔っていなかったうえ、普段かけてきたことのない電話をかけてきたため、当夜のことは鮮明に覚ええいるというのであって、両名が記憶違いをしていることはおよそ考えられない。)が、A1は、「京さい」に電話をかけた記憶がないとしたうえ、「京さい」を出てから自宅に到着するまでの間の行動についても記憶が曖昧であると供述する。
そうすると、A1にとっては、まさに人を殺害しようとしていた夜に、しかも犯行直前に被害者と犯人である自分らが一緒にいるところを行きつけの店の従業員らに目撃されること自体はばかれるべきであるところ、さらに店を出た後短時間の間に、あえて二回も電話をかけているというのは、この電話には相当重要な意味が込められているものと推察されるのであるが(後記六で検討する。)、それにもかかわらず、これを記憶していないというのは不自然・不合理というほかはなく、しかも右のとおりA1が午後九時三〇分ころまでには帰宅せず、その間の行動について何らの説明もなし得ないことからすると、A1は、その間の行動について、重要な事実を意図的に隠しているものと疑わざるを得ない。
ちなみに、右のA1が「京さい」にかけた電話について、A1がアリバイ作りのためにしたものでないことは、取調べ当初から一貫してこの事実を供述せず、これを尋ねられても記憶にないとするなど、自己に有利な事実として挙げていないことからして明らかである。
(2) <2>の供述について
A1は、被告人からかかってきた電話の内容につき、捜査段階の初期においては、「山に置いてきた。A36に頼んで後始末してもらえ。」と言われた旨供述していたが(昭和六三年八月一五日付員面〔甲四五六〕)、その後、何ら変更の理由を述べることなく、<2>のとおり、「終わった。山に向かう。」(昭和六三年九月七日付員面〔甲四七三〕)、あるいは「今終わった。これから捨てに行く。」(同月一九日付検面〔乙四〕)と言われた旨供述を変え、右供述変更の理由について、第七九回公判において、「一人で最終処分場に行ったことを隠したかったからである。」と説明している。
しかし、「山に置いてきた。」という供述をした時点では、A1は既に被告人と共謀のうえA3を殺害したことを認めていたのであって、いまさら一人で貝殻をかけに行ったことを隠す必要があるとは思えず、また、そもそも「山に置いてきた。」でも「これから捨てに行く。」でも、その後A1が一人で最終処分場に行ったか否かとは別問題であることからすると、A1の右説明には納得し難いものがある。
加えて、本件捜査を担当した松浦由記夫検事は、「被告人から電話を受けた後のA1の行動について調べると、A1は被告人が運転するクラウンとすれ違ったとの新たな供述をするに至り、この点を問いただすと、被告人からの電話の内容も変わった。」旨供述しており(平成六年九月七日付陳述書〔甲八八九〕)、これに照らすと、A1は、A3殺害の実行行為に関し、被告人の単独実行を印象づけるため、被告人のクラウンとすれ違ったと供述したものの、それでは辻褄があわなくなる(被告人が死体遺棄後にA1に電話をかけたとすると、最終処分場付近には電話がないことから、被告人はその時点で既に市街地に近い場所にいたことになるが、そうすると、A1が最終処分場に近づいた地点で被告人の車両とすれ違うことはあり得なくなる。)と考えて供述を変えたとの疑いも抱かざるを得ない。
(3) <3>の供述について
A1がA36と連絡をとるためサウナ「山水」に電話したが連絡がとれなかったこと、A10を通じて被告人を呼び出したこと、被告人がA10に車でA1宅前まで送らせそこでA1と会ったことは、前提事実4・(七)及び(八)のとおりであり、この限度でA1の供述は信用できる。
しかし、その後A1が被告人と一緒に最終処分場に行ったとする点には次のような疑問も残る。
即ち、A10は、自動車でA1宅前まで被告人を送り、その後すぐlアパートの自宅に帰ったが、それから二〇分ないし三〇分後に被告人が帰ってきたと供述している(昭和六三年八月二六日付検面〔甲五二〕)ところ、当裁判所の検証の結果によれば、自動車では、A1宅からlアパートまでは約一〇分、A1宅から最終処分場までは約三一分、最終処分場からlアパートまでは約二〇分程度かかることが認められるのであって、これによると、仮に、A1宅に赴いた被告人がA10と別れた後、A1と一緒に最終処分場に行ったうえ処理穴に貝殻をかけたとすれば、lアパートに戻るまでには少なくとも一時間以上はかかると考えられるのであるから、A10の右供述が真実であるとすれば、被告人は最終処分場には行っていないということになる。
もっとも、A1宅を起点として同時に出発すれば、A10がlアパートに着くのは約一〇分後、被告人が最終処分場を経由してlアパートに着くのはおよそ一時間後となり、被告人はA10に遅れること五〇分で帰宅できることになるのであり、A10のいう二〇分ないし三〇分と五〇分とでは、それほど極端に違うわけでもなく、一般に時間の経過に関する記憶には正確性が乏しい場合が多いこと、A10の供述は犯行から約一か月後になされたものであるうえ、記憶に基づくもので特に明確な根拠があるわけではないことなどを考慮すると、A10の右供述のみから、A1の右の供述の信用性を否定することは必ずしもできないといえる。
4 A1の供述の信用性についてのまとめ
以上に検討したところによると、A1の供述には、まずもって、A3殺害の当夜の自己の行動について、「京さい」を出てきた帰宅するまでの記憶が曖昧であるとしてその間の行動につき具体的な説明ができない点、しかも、当夜「京さい」に自ら二度も電話をかけていながら記憶にないとしている点が特異なものとして挙げられる。
そして、これらの点が、いずれもA3が殺害される直前ないし直後のことであり、少なくともA3殺害の共犯者であれば忘れようもない極めて重要な事実であるはずであることからすると、A1がこれらの点について意図的に自己に不利益な事実を秘匿した供述をしている疑いが強く、このことのみからしても、自らはA3殺害の実行行為には関与していなかったとするA1の供述には重大な疑念を抱かざるを得ない。
また、A3殺害の共謀の形成過程に関する A1の供述についても、前示のとおり、他の証拠と齟齬する部分が多々みられるうえ(なお、そのほとんどは、犯行への自己の関与の程度を低めたり否定したものである。)、A3殺害の動機や殺害実現に向けての行動に関する証拠関係に照らすと、A1にはA3の口を封じる必要性が被告人に比して強く、しかも、A1が被告人に無断で第三者であるA35に殺人を依頼したり知人のA36に案内させて死体の投棄場所を下見するなどA3殺害の実現に向けて積極的かつ意欲的に行動していることが明らかであり、これらの諸事情からすると、A1の供述するところとはむしろ反対に、A3殺害を積極的に画策していたのはA1であって、A1が利害や動機を共通とする被告人にこれを発案したうえその実行に向けて自ら意欲的に行動していたと考えるのが合理的である。
四 被告人の弁解の検討
1 A3殺害の動機及びA1からA3殺害の計画を持ちかけられた理由について
(一) 被告人は、概ね「七月初めころ、A1が『A3がA1宅の火事のことを放火だとあちこちで言い触らしている。自分がパクられれば、書類を作っているお前もパクられる。』と言って、A3の殺害を持ちかけてきた。しかし、自分はA3とともにA1を脅していたくらいで、A3の口を封じる必要はなかったから、A1の誘いを断った。そもそも自分には、A3を殺害する動機がない。」旨弁解する(第六七回・第六九回・第一〇一回公判等)。
(二) 検討
これまで検討・判断したところによれば、A3の口を封じる必要性はA1において強かったとはいえ、被告人にとっても、A3の吹聴により自分が関与したA2宅やA6宅さらにはA1宅の保険金目的放火・詐欺の件が噂になれば、これがもとで自分のところにも捜査機関の手が及ぶことになるとの危惧を抱いていなかったはずはない。
また、被告人がA3と組んで A1を脅していたとする点は、これに沿う事実が認められ(前提事実3・(三)・(1)。但し、被告人は表面には出ていない。)、一見すると、被告人とA3は一体関係にあり、その被告人が逆にA1と組んでA3を殺害しようとするのは不自然であるかのようにも考えられるが、関係各証拠によれば、被告人、A3及びA1の三者の関係は、一般の友人関係などとは異なり、それぞれが自己の利益を追及するために互いに利用しあっていたにすぎないものとみられるのであって、そのときどきの利害に応じて被告人が立場を変えたとしても何ら不思議はなく、そうだとすれば、A1に金を出させる場面においてA3と組んでいた被告人が、保険金目的放火事件の発覚を防ぐという目的に関しては、この点で利害を共通にするA1と組んでA3殺害を計画したとしても特に矛盾はない。
したがって、被告人がA3と組んでA1を脅していたというだけでは、被告人にA3殺害の動機がないとする根拠とはならず、被告人は、A1からの提案もなしに殺害を企図したかどうかは別として、何らかの方法でA3の口を封じる必要性を感じていたはずであり、右の被告人の弁解は信用し難い。
2 最終処分場の下見について
被告人は、A3殺害の当日より以前にA1と二人で最終処分場を見に行ったが(前提事実3・(三)・(14))、その理由について、概ね「A1から、殺害後の死体投棄場所として恰好の場所があると誘われ、A1の車で山に行った。断らなかったのは、A1が本気でA3を殺そうとしているのが分かり、その話を聞いてしまった以上、今度は自分が邪魔になり、口封じのために自分もA1に殺されるのではないかと考えていたので、例えば自分がどういう所に捨てられたかということを記録しておくために見ておいた方がいいと思ったからである。」旨弁解する(第六八回・第九八回公判等)。
しかし、元暴力団組員で傷害等の粗暴犯前科もある被告人がA1に殺されると本気で危惧していたとは信じ難く、また、仮に真実そのように考えていたのであれば、わざわざ「殺害後の死体投棄場所として恰好の場所」にA1と二人きりで行くという危険を冒すはずもなく、あえてそのような危険を冒してまで行った理由が「自分が捨てられる場所を記録するため」というのも、通常の感覚からは理解が困難である。
したがって、被告人がA1と最終処分場に行った理由は別にあったもの、即ち、A1のA3殺害計画に賛同し、その準備として死体の投棄場所を下見したものであること、あるいは少なくとも、A1の右計画に積極的には賛同しなかったものの、正面切って断れずA1にいわれるままに追従して行動したものであることなどの可能性を考えざるを得ない。
3 犯行当日の行動について
(一) 被告人の弁解(第六八回・第六九回公判等)
<1> 七月二四日、A1に電話で呼ばれ、クラウンに乗って「アルプス」に行き、そこでA3、A1と会って話をした。それから三人で「京さい」に行って酒を飲んだが、さらにA1の事務所で飲むことになり、午後八時半ころ、三人で「京さい」を出て、クラウンにA3を乗せ、A1の車と二台で事務所に向かった。
しかし、途中で酒を飲む気がなくなり、市役所の前で車を停め、このことをA1に告げたうえ、A3をクラウンから降ろして A1の軽自動車に乗せ替え、そこでA1らと別れた。その際、クラウンの助手席を見るとシートがA3の小便で濡れていた。
<2> その後、青森市大字西滝の自分の事務所に寄り、A3が車内に濡らした小便を拭いたりした後、さらに焼肉屋でビールを飲んでからlアパートに帰った。その間、A1の事務所と自宅に電話したが、A1は出なかった。
<3> lアパートからA1宅に電話すると、A1が来てくれというので、A10にA1宅前まで送らせ、そこでA1の軽自動車に乗り込んで話をした。A1は金を返すと言って三〇万円の小切手をよこそうとしたが、貸した金は一〇〇万円でありしかも小切手なので受け取らなかった。それ以外には大した話もなく、A1にlアパートまで送ってもらった。
(二) 検討
(1) <1>の弁解について
「京さい」を出る直前までの行動に関する弁解は、「さらにA1の事務所で飲むことになった。」とする点を除けば、前提事実で認定したとおりの事実と符合しており、特に問題はないが、その後の経過についての弁解には次のような疑問がある。
まず、三人で「京さい」を出て、A1の事務所に向かったとする点については、その時点でA3は抱き抱えられなければ歩けないほどに酔った様子であったのであり(前提事実4・(四))、このような状態のA3を連れてさらに酒を飲みに行こうとするのは不自然である。
また、被告人がA1らと別れた理由についても、三人で飲み直そうとしていったん車二台で出発しながら、その途中で突然気が変わったというもので、いかにも唐突というほかはない。
しかも、市役所前で別れる際にA3をA1の自動車に移し替えたとの点についても、前提事実3・(三)のとおり、被告人はそれまでにA1からA3の殺害を何度も持ちかけられていたのであるから、A1が機会があればA3を殺そうとしていることを当然知っていたと認められることからすると、何故に酔って無抵抗状態のA3をA1に委ねて一人で帰ってしまったのか釈然としない。被告人は、A3を殺すことに同意していなかったし、A3の次には自分が殺される危険を感じていたというのであるから、そのような被告人が、A3殺しの好機をA1に与えるというのは不自然である。仮に、その晩は、A1にはA3を殺す気配がなく、本当に酒を飲みに行くだけだと被告人が考えたとしてみても、その場合でも、被告人の弁解によれば、A3は車内に小便を漏らすほど酔っていたというのであるから、A3と一緒にさらに酒を飲むのは誰が見ても不可能であり、被告人とすれば、その段階で、今夜は酒を飲むのはやめて帰ろうと言うのが当然であり、このようなことをせず、しかもA3をわざわざA1の自動車に移し替えて別れたというのは、納得できる弁解とは到底いえない。
(2) <2>の弁解について
被告人が帰宅するまでの行動には、焼肉屋に立ち寄った点などについては裏付けがなく、A1の自宅や事務所に電話したとする点についても、その目的が不明であり、しかも、「京さい」を出てから酒を飲む気がなくなり、予定を変更してまでA1らと別れたとしながら、焼肉屋でビールを飲んだというのでは、その行動に一貫性がみられない。
(3) <3>の弁解について
A3が七月二四日の夜「京さい」を出た後から翌二五日未明までの間に殺害されたこと(前提事実1・(二)及び4)、そして、これにA1が深く関与していたことは、これまで認定・判断してきたところから明らかである。
そうすると、被告人の弁解によれば、A1は、自分が深くかかわったA3殺害の当夜、主として金を渡すためにわざわざ被告人を呼び出したということになるが、その時期がA3殺害の前後のいずれであれ犯行に極めて近接していることから、このようなA1の行動は、犯罪者の心理としては理解し難く、むしろ、A1があえて被告人を呼び出したのは、A3の殺害ないしはその死体の遺棄に関して被告人の協力が必要であったからと考えざるを得ない。
4 被告人の弁解に関するまとめ
(一) 以上に検討したところによると、被告人の弁解には、特にA3が殺害された当夜の行動について疑問点や不合理な点が多々みれれるのであり、とりわけA3殺害の前後の極めて重要な事実と目されるA3をA1に預けて別れたとの点やその後A1に呼び出された理由については虚偽の供述をしている疑いが極めて強く、また、A3殺害の動機や共謀の形成過程についての供述にも自己の関与を極力否定しようとする態度を示していることをも加味すると、被告人は、「京さい」を出た後になされたA3の殺害とその死体の遺棄について、その実行行為自体にも関与していたのではないかとの疑いを抱かざるを得ない。
(二) ちなみに、前提事実3・(三)・(7)のとおり、被告人がA1に対しA35への殺害依頼をやめさせようとした際、その会話内容をカセットテープに録音しているところ、これは、A3殺害事件が発覚し嫌疑がかけられた場合に備え、自分はその犯人ではないと捜査機関に印象づけるためにしたものとも考えられるが、他方、被告人は事件に関与していなかったが、A1からA3の殺害を持ちかけられるなどしたため、疑われた場合に備えて行ったということも考えられるのであった、被告人がA1との会話内容を録音したことと被告人がA3殺害事件の犯人であることとは必ずしも結び付くものとはいえない。
五 被告人の自白の任意性と信用性
1 自白の任意性
(一) 被告人の供述経過について、関係各証拠によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告人は、八月一九日、A3に対する死体遺棄の被疑事実で逮捕されたが、当初は犯行を否認した。
(2) 被告人は、同月二五日、A3殺害及び死体遺棄につき、A1と共謀しA1がA3を殺害したとの内容の供述を始めた。
(3) 被告人は、同月二八日、A3殺害の被疑事実で再逮捕された。
(4) 被告人は、右(2)の供述を維持していたが、同年九月二日、検察官の取調べにおいて、被告人とA1の二人で最終処分場に行き、その途中でA3を殺害したとの供述を始めた。
被告人は、その後、A3殺害及び死体遺棄の公訴事実で起訴されるまで右供述を維持した。
(5) しかし、被告人は、公判において、一転して、A3の殺害と死体遺棄の各実行行為ばかりでなく、A1との共謀についても否認した。
(二) 弁護人は、「被告人は、警察官から、自白しないと子供が通う学校の先生や友達に父親は人殺しだと話すと脅されたため、やむなく自白したものであって、被告人の自白には任意性がない。」旨主張し、被告人も、公判において、これに沿う供述をしている(第七二回公判)。
(三) しかし、被告人を取り調べた警察官A42の供述(第六三回公判)及び松浦由紀夫検事に対して自白した際の取調べ状況に関する捜査報告書〔甲四二八〕等によれば、被告人の自白が任意になされたものであることは明らかである。
2 自白の信用性
被告人の自白(昭和六三年九月二日付検面、同月一一日付員面、同月一六日付員面、同月一七日付員面、同日付検面、同月一八日付検面、同月一九日付員面〔乙六ないし九・七三ないし七五〕)は、A3殺害の動機及び経緯、さらには実行行為までの経過が具体的かつ詳細であるものの、以下に検討するとおり、その供述の重要部分には不自然・不合理な点があり、その信用性には疑問があるといわざるを得ない。
(一) 被告人がA3殺害を決意した経緯について
(1) 被告人の自白
被告人は、概ね「七月二〇日ころ、A1から『警察がd社の事務所に来てA3のことを聞いてきた。警察は火事のことでA3を逮捕するらしい。A3が逮捕されたら終わりだ。A3を殺さなければならない。手伝うだけでいい。』と言われた。警察がd社の事務所に来た話は本当で、このままでは自分も逮捕されてしまうと考え、手伝うだけということなので、A1の話に乗りA3を殺害することにした。」旨供述する(昭和六三年九月一六日付員面、同月一七日付検面〔乙八・七三〕)。
(2) 検討
まず、関係各証拠によれば、青森警察署では、七月二〇日ころには、他の殺人事件を捜査中であり、警察官がA3の件でd社の事務所を訪れた事実はないことが認められる。そうすると、右の被告人の供述のうち、A1の発言部分は客観的事実と齟齬している。
なお、被告人の態度が煮え切らないことに業を煮やしたA1が、虚偽の事実を述べて被告人の決断を促したとの可能性も否定できないところであるが、前提事実3・(三)・(1)及び(2)のとおり、A3は、七月初めころ、「放火の件で警察官が事情を聞きに来た。」などと嘘を言ってA1を脅しており、これは被告人と相談のうえで行ったものと認められるのであるから、そのようなことを仕組んだ被告人が、警察官が来た旨のA1の話をそのまま信用したということには疑問も残る。
(二) A3に対する睡眠薬の投与について
(1) 被告人の自白
被告人は、概ね「犯行当日、自分、A1とA3の三人が『アルプス』で顔を合わせ、自分は、打合せどおり、A1とA3が席を立った隙に、A3が飲んでいたアイスコーヒーの中に睡眠薬の粉末を入れた。」旨供述する(昭和六三年九月一七日付検面〔乙八〕)。
(2) 検討
<1> 関係各証拠によれば、クラウンの助手席に付着していた尿からはA3が殺害前に睡眠薬ハルシオンを摂取したことを裏付ける物質が検出されていること(前提事実2)、犯行当時ころ、被告人がハルシオンと精神安定剤の各錠剤を砕いて粉状にし混ぜたものを持っていたことが認められるが、他方で、ハルシオンは身体に摂取後三〇分程度で効果が現れるものであり、高齢になるほど効き目が現れるまでの時間が短くなること、A1はハルシオンを被告人から分けてもらいd社の女性従業員二人に試したが、そのときこの二人はいずれも短時間で完全に眠ってしまったこと、A3には「京さい」に到着したときにハルシオンの効果が現れていた形跡がないこと、「京さい」で二時間程度飲食した後同店を出るときは、A3はA1に抱き抱えられるほど酔った様子であったが完全に眠った状態ではなかったことなどが認められ、これらの諸事情に照らすと、被告人が自白するようにA3が「アルプス」でハルシオンを服用させられたとの可能性は低い。
但し、関係証拠によれば、ハルシオンはコーヒーには溶けにくく、粉末をアイスコーヒーに入れても直ぐに飲まないと沈殿してしまう性質があることが認められるから、右の諸事情のみでは、「アルプス」において、被告人がA3のアイスコーヒーにハルシオンを入れていないのか、入れたが沈殿するなどしてA3の身体に摂取されなかったのかは確定することができない。
<2> また、関係各証拠によれば、A3は、「アルプス」から「京さい」を経て殺害されるまでの間にハルシオンを身体に摂取したものと推認されるところ、被告人は、捜査段階の一時期〔前掲甲四二八〕、「A1が『京さい』でA3の飲物に睡眠薬を入れたと思うがはっきりしない。」との供述をしたが、「アルプス」でA3のアイスコーヒーにハルシオンを入れたと供述してからは、「京さい」に着いてから殺害に至るまでの間に被告人あるいはA1が睡眠薬を飲ませたことを窺わせるような供述をしていないことも疑問である。
(三) 「京さい」を出た後の被告人とA1の行動について
(1) 被告人の自白
被告人は、概ね「『京さい』において、A1が、これからA1の事務所で飲み直そうと言うので、三人でほぼ同時に『京さい』を出た。
打合せどおり、A1は犯行時のアリバイを作るため、車でいったん自宅に戻ったが、自分はA3をクラウンの助手席に乗せ、そのままd社の事務所に向かい、事務所付近の道路をクラウンで周回しながらA1が来るのを待った。
その後、A1と事務所付近で落ち合い、そのまま近くのラッコ温泉の駐車場まで二台の車で行き、そこでA1がクラウンに乗り込んだ。そして、A3を乗せたままクラウンで最終処分場に向かった。」旨供述する(昭和六三年九月一八日付検面〔乙九〕)。
(2) 検討
<1> まず、被告人の自白によると、A1が、「京さい」を出た後、被告人といったん別れて再びd社の事務所付近で落ち合うことは、当初の計画どおりの行動であったはずである。
しかし、前記三・3・(二)・(1)で認定したとおり、A1は、「京さい」を出てから、被告人の住所を探すかのような電話を二度もかけており、しかもそのうち最初の電話は被告人らが「京さい」を出てから程なくしてかけられているのであるから、被告人とA1がいったん別々の行動をすることが当初の計画どおりであったのであれば、A1が「京さい」を出て程ない時点で被告人の所在を探すため電話をかけるというのは不可解である。
なお、仮に、A1には何らかの事情で被告人と連絡をとる必要が生じて「京さい」に電話をかけたと考えるとしても、そうであれば、A1が被告人と落ち合った後何らかの話をして然るべきであるが、被告人の自白調書にはこの点について何らの記載もない。
<2> また、被告人の自白によれば、アリバイ工作をしたのはA1だけであるが、被告人も「京さい」ではA1、A3と一緒にいたところを従業員に見られているのであって、それにもかかわらず、A1だけがアリバイ工作を行ったというのも不自然である。
<3> さらに、関係各証拠によれば、A3の死体から検出された胃内容物中には、小豆、乾燥魚類、珍味なども含まれていたことが認められ、他方で、右の食品類が犯行当日のA3の朝食や「アルプス」と「京さい」で飲食した物には含まれていないことが認められる。
A3が昼食あるいは間食としてこれらの物を食べた可能性を完全に否定することはできないものの、A23の昭和六三年八月七日付員面〔甲六五九〕には、当日のA3の朝食の内容が聴取されているが、朝食以外に昼食やその他の食事内容についての記載がないことから、A3は、当日朝から午後四時ころ外出するまでの間、自宅において朝食以外には右のような物を食べていない可能性が高いといえ、これに加えて、特に乾燥魚類や珍味類などは通常は酒の肴の類であって昼間からこのような物を食べる可能性は低いと考えられること、A3が「京さい」を出る際に相当酔っていた様子は窺われるとしても泥酔状態にあったとまではいえず、「京さい」を出た後さらに別の場所で飲食したと考えることもできなくはないことなどに照らすと、A3が、「京さい」を出た後さらに別の場所において、前記の乾燥魚類等をつまみとして食べた可能性も全く否定することはできず、仮にそうであるとするならば、被告人の自白はこれらの関係証拠と符合しないこととなる。
<4> なお、被告人は、自白の中で、「京さい」を出た後クラウンで走行した経路について具体的かつ詳細に説明しているが、被告人は、地元の者で土地勘があり、また、本件犯行の前にはA1と二人で合子沢の最終処分場を実際に見に行っていることに照らすと、右のとおり具体的かつ詳細に説明できることだけを根拠として被告人の自白の信用性を肯定することはできない。
(四) A3の殺害及び死体遺棄の状況について
(1) 被告人の自白
被告人は、概ね「A1の言うとおりにクラウンを走らせていたところ、最終処分場の近くで、A1に指示されて停車した。すると、A1は、A3の胸の上に覆い被さるようにしてA3の首を絞めた。その際、A1が押さえろと言うので、A3の腰の両側に両手をあてがって体を押さえた。その後、A3が動かなくなったので、再び車を走らせ最終処分場に到着した。そして、A1がタイヤショベルの準備をしている間、自分は、クラウンのコンソールボックスに入れておいた龍のお守りを取り出してA3のズボンのポケットに入れ、その後、A3の死体をクラウンから引きずり出し処理穴の中に落とした。最終処分場からの帰りの車中で、どのようにして首を絞めたのかA1に聞いたところ、A1はベルトでA3の首を絞めたと言っていた。」旨供述する(昭和六三年九月一八日付検面〔乙九〕)。
(2) 検討
<1> まず、右の被告人の自白を裏付ける物的証拠が発見されていない。即ち、自白のとおり、被告人がA3のズボンのポケットに龍のお守りを入れたうえで処理穴に死体を投棄したのであれば、A3のズボンのポケットの中から、あるいは死体が投棄された処理穴から龍のお守りが発見されてしかるべきであるが、関係証拠によれば、A3が着用していたズボンのポケットの中だけでなく、死体が投棄されていた処理穴についても、バキュームカーで投棄物を全て吸い上げるなど徹底的に捜索したにもかかわらず、結局龍のお守りを発見するに至らなかったことが認められるのである。
<2> また、被告人は、A1がA3の首を絞めていたときにA3の体を押さえた状況について、犯行を認める供述を始めた当初(昭和六三年九月二日付検面〔乙六〕)は、「A3の体の前の方から乗りかかるようにしてA3の体を押さえた。」と供述していたが、その後、クラウンの運転席で立て膝をしてA3の腰あたりを手で押さえたという趣旨で図面を作成し(司法警察員作成の昭和六三年九月一二日付捜査報告書「被疑者の図面作成について(c)」添付の被告人作成の図面。以下、「九月一二日付捜査報告書」という。)〔甲一一八〕、さらにその後の引当り捜査においてクラウンの車内で犯行状況を再現した際には(司法警察員作成の昭和六三年九月一四日付捜査報告書「被疑者の引き当たり捜査について」。以下、「九月一四日付捜査報告書」という。〔甲一二七〕)、A3の大腿部を手で押えたことになり(なお、この引当りに立ち会った警察官A41は、「このような方法では人は死なないと思う。」などと証言している。第六一回公判)、そして、被告人の最終的な検面調書(昭和六三年九月一八日付検面〔乙九〕)では、再び「A3の腰の両側に両手をあてがい体を押さえた。」と供述している。
さらに、被告人は、A1がA3の首を絞めた状況についても、当初は、「A1は、A3の首にバンドを巻いて後ろから絞めた。確か首にバンドを一回りさせ、その両端を両手で引っ張り絞め付けていたと記憶している。」(昭和六三年九月二日付員面〔乙七二〕)と供述していたが、その後、「A1はA3に覆い被さるようにして首を絞めていたので、どのようにして絞めていたのか分からなかった。」(昭和六三年九月一八日付検面〔乙九〕と供述を変更している。
このように、A3の殺害という重要な場面に関する被告人の捜査段階における供述は変遷しているが、右の供述変遷について合理的な説明がなされていない。
そして、被告人は、右の供述の変遷について、公判において(第六九回公判)、A3殺害の状況は想像で供述したものであるとして、概ね「当初(昭和六三年九月二日付検面〔乙六〕)は、『A3の体の前の方から乗りかかるようにして体を押さえた。』と供述したが、実際には実行不可能であることが分かり、図面を作成した際には(九月一二日付捜査報告書〔甲一一八〕)、『運転席で立て膝をして、A3の腰あたりを押さえた。』ということで図面を作成した。しかし、実際にクラウンの車内で助手席のリクライニングシートを倒した状態にして再現実験したところ(九月一四日付捜査報告書〔甲一二七〕)、大腿部を押さえるのが精一杯だったので、『A3の大腿部を押さえ付けた。』ことになった。その後、検察官は右の再現実験を見ていないので、検面調書では、再び『A3の腰の両側に両手をあてがい、A3の体を押さえた。』と供述した(昭和六三年九月一八日付検面〔乙九〕)ことになっている。また、A1がA3の首を絞めている状況については、クラウンで再現実験した際、A1が首を絞めているところは見えるわけがないということになった。」と弁解するが、本件記録上、右の被告人の弁解を排斥するに足りる証拠はない。
したがって、被告人のこの点に関する自白は、必ずしも被告人が実際に体験したことを想起しつつ記憶どおり供述しているのではなく、捜査官に疑問を提起されたりしたことから、その都度犯行状況を想像するなどして供述したとの疑いを否定することができない。
<3> さらに、被告人の自白によれば、A3の殺害方法については、事前に何らの具体的な打合せもないまま、A1がいきなりA3の首を絞め始めたことになるが、A1が単独でA3を殺害するという計画であれば格別、直接手を下すのはA1だとしても、A3を殺害するときには被告人も一緒に最終処分場に行くという計画なのであるから、殺害方法について事前に全く謀議もせず、いきなりA1が首を絞め始めるというのは、いかにも不自然の感を免れない。
3 被告人の自白の信用性に関するまとめ
以上に検討したとおり、被告人の自白には、被告人とA1の共謀の成立、殺害前の行動及び実行行為の場面といういずれも重要部分において、不自然・不合理な点が存在し、あるいは裏付けを欠くものがあるうえ、自白中にはいわゆる秘密の暴露といえる部分もないことをも加味すると、被告人の自白の信用性を肯定しこれに依拠して事実を認定することには躊躇せざるを得ない。
六 総合的検討
1 はじめに
以上に検討したとおり、A1の供述、被告人の弁解及び被告人の自白のいずれについても、その信用性には疑問を抱かざるを得ない点が多々みられ、特にA3殺害のまさに当夜における「京さい」を出てからの被告人とA1の行動に関しては、被告人とA1の両名とも、その重要な部分につき真実を語っていないのではないかとの感を否めず、また、単に実行行為の部分だけにとどまらず、犯行の発意や共謀の形成過程に関する両名の供述も、互いに意図的に自己の関与を否定したりあるいは関与の程度を低くみせようとしてなされているとの疑念を払拭できない。
そこで、以下においては、右両名の供述をいったん離れ(但し、関係証拠上特に問題のない点はこの限りでない。)、他の証拠関係に基づき、そこから経験則を踏まえて合理的に推認される事実を考察することとする。
2 A3殺害(死体遺棄を含む。以下、同じ。)についてのA1と被告人の共謀の成立
(一) これまでに認定・判断したところによると、以下の各事実が認められる。
(1) A1は、七月ころまでに、自分を放火の犯人であると吹聴したうえこれを種に執拗に金をせびるA3の口を封じ、併せて自分が関与した保険金目的による放火・詐欺の件について警察の捜査の手から免れるためには、A3を殺害せざるを得ないと企図するに至ったこと
(2) 被告人は、七月上旬ころ、A1から右の企図を打ち明けられたが、A3と組んで自らは表面に出ずにA1から金を出させることに加担していたものの、自分自身もA2宅、A6宅及びA1宅の保険金目的による放火・詐欺の件にはA1やA3と組んで敢行していた(但し、A6宅の件ではA3を除外している。)ことから、A1の関係する放火等についてのA3の吹聴が原因でA3やA1に捜査の手が及べば、結局は自分自身の関与も発覚するに至るはずであることを危惧し、A3の口を封じる必要性を感じていたこと
(3) その後、A1は、A3殺害の企図を実現すべく、被告人に無断で殺し屋としてA35にけん銃入手とA3の殺害を依頼したが、これを知らされた被告人は、殺人を第三者の暴力団組員に依頼するのでは犯行が外部に漏れたり事後これを種に恐喝されることを懸念して反対し、これをやめさせるなどしてA1を牽制したこと
(4) また、A1は、知人のA36に案内させて合子沢の最終処分場を下見し、殺害したA3の死体の投棄場所として好適地であることを自ら確認したうえ、A35や被告人を同所に案内して説明していること
(5) A1は、被告人からハルシオンを分けてもらい、d社の従業員にひそかに服用させて実験し、首尾よく眠りこけてしまうことを確認していること
(6) A3は、殺害される一週間前の七月一七日から二二日まで碇ケ関の保養センターに宿泊していたが、その間、被告人はA3の様子をA1に伝え、また、A1も金を渡すとの口実でA3と連絡をとるなどして、両名とも、A3の動静を把握していたこと
(7) A3殺害当日の昼ころ、A1は、先に処理穴に貝殻を被せることを依頼しておいてA36と会い、その晩に連絡をする可能性があると伝えていること
(8) 同日午後、A1は、A3を誘い出し、また、被告人は、A1に呼び出され、喫茶店「アルプス」を経て、少なくとも「京さい」までは、被告人とA1は、A3と行動をともにしていること
(9) 同日夜、「京さい」を出る際には、A3は、A1に抱き抱えられるほど酔った様子であったこと
(10) 被告人は、その晩、「京さい」を出た後、A1に呼び出されてA1と再度会っていること
(11) A3は、飲酒のうえハルシオンを服用させられて無抵抗状態のまま「京さい」を出てから翌日未明までの間に殺害されたこと(なお、殺害方法については、前提事実1・(二)に摘示したA3の死体の状況及び解剖結果等からして、扼殺、絞殺又はこれに類する方法によるものと推認される。)
(二) 以上の各事実に加え、まさにA3殺害の直前あるいは直後と考えられる時期に、A1が「京さい」や被告人の自宅(lアパート)に電話をかけるなどして被告人を探したり、A36にも電話で連絡をつけようとしていたという事実等(前提事実4・(五)ないし(八))をも併せ考えると、A3殺害の発意及び殺害の実現に向けての準備行為等の経緯については、A1が終始積極的かつ率先して行動しており、一方、被告人は、その間、A35への殺害依頼を断念させるなどA1の行動を制止したりもしてはいるが、これもA3の殺害自体をやめさせようとしたものでなく、自らもA3殺害の動機を有していたことから、A1に比して積極的ではなくむしろ従属的ではあったものの、A1と相談を重ねながら共同してA3殺害に向けて行動していたものであることが認められるのであって、しかも、当日昼には、A1が右(一)・(7)のとおりA36と会ってその晩に連絡する可能性を伝えたうえ午後からA3を誘い出すとともに被告人を呼び出し、三人で「アルプス」を経てさらに「京さい」で飲食していることからすると、A1において、当夜を殺害実行の好機としてとらえ、その間にA3を飲酒させたうえハルシオンで眠らせて無抵抗状態にさせるとともに、殺害や死体遺棄及びその前後の行動やその痕跡が他人に目撃させるのを防止するため日没を待っていたものというべきであり、一方、被告人もこのことを認識してA1らと行動をともにしていたものであることは、容易に推認されるところであって、これらの諸事情を総合すると、A1と被告人との間には、遅くとも七月二四日の夜、「京さい」を出るころまでには、その晩のうちにA3を殺害したうえその死体を合子沢の最終処分場に遺棄して殺害の犯跡を隠蔽することについての共謀が成立していたことを認定することができる。
3 A3殺害・死体遺棄の実行犯について
A3を殺害しその死体を遺棄した実行犯について、これがA1と被告人のいずれであるか、あるいは両名が共同して敢行したものであるかは、A3殺害当夜の、特に両名とA3が「京さい」を出てからの行動とその意味を明らかにすることによって解明されることになると考えられる(なお、A1と被告人以外の第三者がこの実行に関与した可能性は、証拠上否定される。)ので、以下、この点について検討を加える。
(一) 「京さい」を出た時刻とその際の状況等について
(1) A1、被告人及びA3が当夜「京さい」で飲食した後店を出た時刻については、正確には断定し難いが、A1の供述が午後八時ころとしていることや、同店の従業員らの各供述の中で遅いものが九時三〇分ころとしていること、さらには同店で飲食した内容などからすると、概ね午後八時ころから九時三〇分ころまでの間であったものと認められる。
(2) そして、「京さい」を出るときには、まずA1がA3を抱き抱えるようにして店を出、その少し後から被告人も店を出ているが、A3は、その際の様子からして、かなり酒に酔っていたか、あるいは知らぬ間に飲み物に混入されたハルシオンが効果を発揮してきていたものと推認される(なお、前示のとおり、「アルプス」でハルシオンを盛られてこれが「京さい」を出るころに効果を発揮してきたとの可能性は、その間の時間的間隔が相当長いことからして低いものと考えられる。)。
(二) A1が「京さい」、A36及び被告人宅にかけた電話の意味
(1) A1は、「京さい」を出た後、程なくして、また、それからしばらくして、合計二度にわたって同店に電話をかけており(前提事実4・(五)及び(六)。なお、その時刻については、同店を出た時刻が明確でないことから断定はできないが、二回目の電話は一応午後一〇時の閉店前後にかけられたことが窺える。)、A1がどのような意図をもってこのような電話をかけたのかは、A1自身が記憶にないとしていることから、必ずしも明らかではないが、前記三・3・(二)・(1)のとおり、アリバイ作りのためにこのような電話をかけたとの可能性は否定される。
(2) そうすると、A1によるこの二度の電話は、A3殺害の当夜、しかも殺害実行の直前あるいは直後にかけられたものであるうえ、その内容が「もう一人の客は帰ったか。」とか「自分に誰かから連絡がなかったか。」と尋ねていること、また、その前後ころには、lアパートの被告人宅にも電話をかけて被告人の内妻A10に対し被告人との連絡がとれるよう依頼していることからすると、A1は、これらの電話のいずれの時点においても、被告人とは行動をともにしてはおらず、しかも、被告人と連絡をとる必要に迫られていたものの、その所在を把握できていなかったことが明らかである。
(3) また、前記三・3のとおり、A1は、当夜は少なくとも午後九時三〇分ころまでには帰宅しておらず、その間、右のとおり「京さい」や被告人の自宅にも電話をかけて被告人と連絡をとろうとしており、しかも、その一方で、午後九時二〇分ころから一〇時ころまでの間には、A36の行きつけのサウナ「山水」に電話をかけたものの結局A36とは連絡がつかなかったのであるが、A1が、先にA36に対し最終処分場に捨てるものがあってその際には貝殻を被せて隠蔽してもらうことを依頼していたうえ、当日昼にもA36に会って夜に連絡するかもしれないことを伝えていることなどを考え併せると、当夜、A1がサウナ「山水」に電話をかけた時点におけるA1とA3の状況については、以下の可能性を想定し得る。
<1> 既にA3を殺害しその死体を合子沢の最終処分場の処理穴に投棄したため、A36に事後の処理を依頼しようとした
<2> 既にA3を殺害したが、これから最終処分場に死体を投棄しに行くので、A36にその後の処理を依頼しようとした
<3> A3は未だ殺害されていなかったが、ハルシオンあるいは飲酒の影響により無抵抗状態に陥っていて殺害が確実な状況にあったため、間もなく殺害することを前提として、A36にその後の処理を依頼しようとした
(なお、「京さい」を出る際のA3の様子から当夜の殺害の好機であったこと、そして現実に当夜A3が殺害されていることからすると、A1がA36に右のような依頼を断ろうとして電話をかけたはずがないことはいうまでもない。)
(三) A1が実行犯である可能性
そうすると、A1は、サウナ「山水」に電話をかけた時点において、右のようにA3が既に殺害されたかあるいは殺害直前の状況にあったことを把握していたことになるが、その一方で、その前後ころには、被告人と連絡をとろうとしていたもののその所在がつかめていなかったことからすると、A3殺害の現場には、A1はいたものの被告人はいなかった、即ち、A3殺害の実行犯はA1であるという可能性が強いものと推察される。
なお、前提事実2のとおり、クラウンの助手席シートから尿とハルシオンの代謝物が検出されていることからして、A3はクラウンの車内で殺害されたものと推認され、また、「京さい」に赴くまでは被告人がクラウンを運転していたことが認められるが、クラウンはもともとd社から被告人が借りていたものであり、A1が「京さい」で普段は車両の鍵を預けるのに当日はこれをしていないことからして、「京さい」を出た時点でA1と被告人が車両を交換したものと考えれば特段の矛盾はない。
また、A1の「京さい」への電話については、一回目のものは、店を出てさほど時間も経過していないことから、被告人とは別行動をとったものの不安になってかけたなどの可能性があり、二回目のものは、一回目のものと同趣旨か、あるいはA36への連絡がとれなかったためその善後策を講じるために被告人と協議しようとしたものであり、さらに、被告人と連絡がついてA1方まで呼び出したことについても、両名が会ってこの善後策を検討したものとして、それぞれの電話や行動がそれなりに説明できることになる。
しかも、殺害の実行犯がA1である可能性は、そもそもA3殺害の動機が被告人に比してA1のほうが強く、また、殺害計画の実現に向けてもA1が終始積極的に行動していたという事情のほか、A1が、「京さい」を出てから自宅に帰るまでの自己の行動や「京さい」に電話をかけたことも記憶にないなどとして不合理な弁解に終始していることとも符合するものといえる(但し、A1と被告人が連絡がとれて会ってからは、両名が一緒に行動し、A3の死体をクラウンに乗せて最終処分場に運搬して投棄したとか、あるいは既にA1の手によって同所に遺棄された処理穴に犯跡隠蔽のため貝殻を被せたなどといった可能性は、さほど高いものとは考えられない。)。
(四) その他の可能性
もっとも、「京さい」を出る時点でA1と被告人とがわずかながら時間的間隔をおいて店を出ていることなどからすると、右の可能性以外にも、
<1> 事前の計画に基づいて被告人が単独でA3を殺害した(この場合、A1の電話は、死体の事後処理を依頼しておいたA36への連絡がつかないという意外の事態から、これに対応した善後策を講じるべく被告人に連絡しようとしたものとして説明できる。なお、被告人が計画どおりにA3殺害を遂げたか否かを確認するため被告人と連絡をとろうとして電話をかけた可能性については、自己の関与が発覚する危険性が余りに高いことなどから乏しいといえる。)
<2> 当初は、被告人とA1が一緒に殺害しようと計画しており、「京さい」を出た後、いったんは両名がはぐれてしまったものの、その後合流して両名が共同して実行した(この場合、A1の電話は、「京さい」への一回目のものは、はぐれた被告人との連絡をつけるためのものであり、二回目の電話と被告人宅への電話は、被告人と合流してA3を殺害しその後別れたもののA36との連絡がつかないためになされたものなどとして説明できる。)
などといった可能性も成り立ち得るのであり、被告人とA1らが「京さい」を出た時刻やその後の両名の行動に関する時刻等も明確に特定できないことなどからすると、これらのいずれの場合についても、可能性として想定される域を出ず、合理的な疑いを超える程度に立証されあるいは推認されるものとはいい難い。
4 結論
以上に検討したとおり、A3を殺害した実行犯について、これが被告人であるか、A1であるか、あるいは被告人とA1の両名であるかは、そのいずれとも断定し難く、また、このため、殺害されたA3の死体を最終処分場に運搬し処理穴に投棄した者についても右の三つのうちのいずれであるかを特定することができない(但し、A1は、その後自ら死体の投棄された処理穴に貝殻を被せたことを自認しており、その限度での事実は認定できる。)が、被告人においては、前示のとおり、A3の殺害とその後の死体の処理穴への投棄等による死体遺棄について、A1との間で事前の共謀をしており、両名かあるいはそのうちのいずれかの者の実行によって当初企図したとおりにその結果を実現したのであるから、被告人は、A3の殺害とその死体遺棄について、少なくとも共謀共同正犯としての罪責を負うものであることは明らかである(なお、A3殺害事件の公訴事実は、被告人とA1が共謀のうえ、被告人においてA3の殺害と死体の搬送・投棄を分担実行したというものであるところ、当裁判所は、右のとおり、殺害及び死体遺棄の実行行為者を被告人とは特定せず、A1又は被告人あるいはその両名と認定したが、本件の公訴事実と当裁判所の認定事実との間には公訴事実の同一性があること、検察官の冒頭陳述等によれば、検察官は本件を事前共謀に基づくものとして立証活動にあたっていたことが明らかであり、本件の審理経過をみても事前共謀の有無についても充分審理が尽くされているのであるから、右のような当裁判所の認定が被告人に実質的な不利益を及ぼしたりその防御権を侵害したりするものでもない。したがって、本件において、右のとおり認定するのに訴因変更の手続をとることは要しないものと解される。)。
(累犯前科)
被告人は、(1)昭和五六年二月一九日青森地方裁判所で傷害及び脅迫の各罪により懲役一年三月に処せられ、昭和五七年五月八日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した傷害及び暴行の各罪により昭和五八年九月二七日青森地方裁判所で懲役一〇月に処せられ、昭和五九年五月二八日右刑の執行を受け終わったものであって、右の各事実は、右各判決の判決書謄本及び調書判決謄本並びに検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示第一の一の所為は、平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下、同じ。)六〇条、一〇八条に、判示第一の二の所為は同法六〇条、二四六条一項に、判示第二の所為は同法六〇条、一〇八条に、判示第三の一の所為は同法六〇条、一九九条に、判示第三の二の所為は同法六〇条、一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一、判示第二及び判示第三の一の各罪につき各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、判示第一の一及び二の各罪は前記(1)及び(2)の各累犯前科との関係でそれぞれ三犯であるから、同法五九条、五六条一項、五七条により、判示第二並びに判示第三の一及び二の各罪は前記(2)の累犯前科との関係でそれぞれ再犯であるから、同法五六条一項、五七条により、それぞれ累犯の加重をし(但し、判示第一の一、判示第二及び判示第三の一の各罪については同法一四条の制限による。)、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二三〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
一 本件は、判示のとおり、被告人が仕事の関係で付き合うようになったA1らと共謀し、知人らの住居に火災保険(本件では全労済の火災共済。以下、同じ。)をかけ、A2宅放火・詐欺事件では放火したうえ火災保険金を騙取し、A6宅放火事件では火災保険が失効しているのに気づかずに放火し、さらに、一連の保険金目的放火の仲間であるA3を口封じのため殺害したうえ死体を合子沢の廃棄物処分場に投棄して遺棄したという事案である。
二 右の各犯行は、火災保険金目的の放火と詐欺、そして殺人等、それぞれが罪質自体重大な犯罪であるが、その内容を個別にみると、まず、A2宅放火・詐欺事件では、多額の負債に苦しむA2を巧みに誘って共犯者として仲間に引き入れたうえ高額の火災保険に加入させ、建物に居住するA2の妻の不在予定を確認するなどしたうえで放火を敢行して全焼させ、火災保険金の入手にあたっては、A2の債権者である銀行が保険金請求権を仮差押えしたのに対抗し、法律知識を悪用し内容虚偽の公正証書を作成するなどして裁判所の配当に参加し首尾よく火災保険金を手に入れたものであり、その手口や犯行態様は計画的、大胆かつ巧妙で狡猾極まりないものというほかはなく、しかも、騙取金の総額は一六〇〇万円余と高額(このうち被告人への配当分は四六〇万円余)であって生じた結果も重大である。
次に、A6宅放火事件では、競売にかけられたA6宅の登記名義を知人に移転したうえでこの者をして火災保険に加入させたうえ、A6一家を花見に誘いその不在を狙って放火を敢行しほぼ全焼させたもので、うかつにも火災保険が失効していたため結果的に火災保険金の騙取には至らなかったものの、その手口や犯行態様はA2宅事件と同様にこれも計画的・大胆・巧妙・狡猾極まりないものというほかはない。
しかも、右の二件の犯行は、いずれも被災家屋の近隣住民らの生命身体財産等に及ぼしかねない危険をなんら省みることなく、火災保険金という高額な金銭的利得を目的としてなされたものであって、これだけでもその刑事責任は極めて重い。
三 さらに、A3殺害事件についてみると、火災保険金目的での放火の仲間であり被告人の養父でもあるA3が放火の件を吹聴するに至ったことから、その口封じなどを目的として誘い出し、睡眠薬を服用させるなどし無抵抗状態にして殺害し、さらに、死体の発見と犯行の発覚を防止すべく、市街地から離れた合子沢の貝捨て場の処理穴に投棄したうえタイヤショベルを操作して貝殻を被せるなどしたものであって、犯行の動機に酌量の余地は全くなく、犯行態様も計画的かつ冷酷・非情・悪質というほかはないうえ、貴重な人命を奪った結果も重大である。
四 しかも、被告人は、これらの各犯行について、自らの関与をことごとく否認して不合理な弁解に終始しているのであって、反省・改悛の情が窺えず、以上のほか、被告人には過去に累犯を含む多数の前科があることなどを併せ考えると、被告人の本件刑事責任は極めて重いというべきである。
五 他方、本件の一連の犯行の中で、まず、A2宅放火・詐欺事件については、共犯者のA1が主導してなされたものと認められること、また、A3殺害事件についても、A1が発案して被告人にその企図を持ちかけたうえ、殺害実現のための準備の過程でもA1が終始積極的に行動し、被告人としては、動機を共通としていることからこれに追従して参画したものであり、その立場はA1に対して従属的であったと目されることなど、被告人にとって有利な事情も認められる。
六 そこで、以上の諸般の情状を総合勘案したうえ、共犯者A1との刑の均衡(A1は、本件のA2宅放火・詐欺事件、A6宅放火事件、A3殺害事件のほか、被告人が無罪となったA8宅放火・詐欺事件を加えて懲役一三年に処せられている。)をも考慮した結果、被告人を主文掲記の刑に処するのを相当と判断した。
〔求刑 懲役二〇年〕
よって、主文のとおり判決する。